ルーラ前大統領が、ブラジルの高等教育の遅れをポルトガルの植民地政策のせいにする発言を行い、物議を醸している。14日付フォーリャ紙サイトなどが報じている。
問題の発言は11日夜、スペインのマドリッドで開かれたカンファレンスで行われた。
ルーラ氏はそこで、「コロンブスが1492年にサントドミンゴ(現在のドミニカ)に到着した時は、15年後に大学が作られた。ペルーでも1550年、ボリビアでも1624年に大学が作られた。だが、ブラジルで最初に大学が作られたのは1922年になってからだった」と語った。
これは16世紀からのポルトガルによる植民地時代や、1822~89年のブラジル帝国の時代に、ポルトガルが高等教育をおろそかにし、大学を作らなかった、と言わんばかりの発言だ。
この発言を受け、ポルトガルの新聞は、「(1500年にブラジルに到着した)アルヴァレス・カブラルがブラジルの教育を遅れさせたとでも言うのか」と、皮肉をこめた批判を行っている。
ブラジルに「大学」という名目の高等教育機関ができたのは1912年(1922年ではない)のパラナ州連邦大学がはじめてだが、高等教育機関に相当するものは植民地時代の1792年と1808年に作られている。