「こどもの文化センター」で学んでいるのは子供だけではない。
保護者会で日本の教育について知る場を作り、日本語の絵本をエリザベスさん自ら翻訳して親子で楽しめるようにするなど、父兄と子供たちが共に日本の教育に馴染んでいけるように働きかけている。
「わたしが子供のころはブラジルも厳しい時代でした。今のような自由なイメージではなかった。だからわたしは鍛えられていたし、覚悟をして日本に来ました」。その言葉は、今の若い親世代の意識の甘さを指摘しているように感じられる。
エリザベスさんは、そんな風にブラジル人コミュニティ内でも若い世代とのギャップを感じるという。
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子供たちと童謡を歌うのはドリス・パッコリさん、非日系のペルー人。母国で特殊教育を学び、盲学校・聾学校などで障害児教育に携わっていた。日本に住んでいた伯母を頼って旅行に来た際、日系ブラジル人の男性と出会い、一度帰国するが再来日して結婚。その後は工場で働いていたが、ここで自分の経験と技術を活かせる天職に再びつくことができた。
普段はポ語を話すが、ボリビア人の親を持つ子供には西語でも話しかける、多言語能力を持つ教師だ。「あの子はもう2歳半になるのに言葉がまったく出ない。親に対しても指さしでコミュニケーションをとっている。通じないと怒って泣いたり手が出る。少しずつ発声の練習をしていかないと」と外遊びを見守りながら話すドリスさん。
外国籍の子供たちの中には、言葉の遅れだけでなく、情緒の乱れや運動の障害が疑われるような場合がある。それが本当の障害なのか、一過性のものなのか正しく見分けて対応しなければならない。
エリザベスさんもドリスさんも、通信教育で子供の心理などをさらに学んでいる。
一時閉校する前から現在のような方針が明確だったわけではない。
教師だった松下さんは、学校の外では普通なのに、教室では落ち着いて座っていることができず、支援学級に行かざるを得なかったり、うまく友人関係が作れず不登校になってしまう子供たちを見ながら、彼らには安心できる居場所がないことにもどかしさを感じていた。
日本社会に溶け込もうとせず、根拠なく学校に不信感を持つ母親。とにかくその年度を終わらせればよいと考えている教育現場。教室に補助員がついたといっても学習内容や指導方法の知識がある人ばかりではない。通訳も都合のよいように伝えているのではないか――。
「一人の子の学習が積みあがっていかない理由がたくさんある」と松下さんはため息をつく。外国籍児童のまわりには難しい課題がいくつも転がっており、核心にはなかなか手が届かない。(つづく、秋山郁美通信員)
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食育にも気を配るソル・ナッセンテの給食は先生の手作り。月のメニューには、フェジョンなどのブラジル料理やロモ・サルタードといったペルー料理が並ぶ。もちろん日本の料理も。もちろんお味の方も〃先生〃並。普通に南米料理が出てくる給食なら、通いたくなる南米ファンの大人も出てきそう?!
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