ホーム | 連載 | 2015年 | ADESC北東伯視察旅行=農協婦人、セルトンを行く=レジストロ在住 滝井孝子 | ADESC北東伯視察旅行=農協婦人、セルトンを行く=レジストロ在住 滝井孝子=(1)=クラサ計画成功で砂漠にブドウ
宇津巻さんの農園
宇津巻さんの農園

ADESC北東伯視察旅行=農協婦人、セルトンを行く=レジストロ在住 滝井孝子=(1)=クラサ計画成功で砂漠にブドウ

 農協婦人部連合会(ADESC、西村千世子会長)の30人が10月25日から5日間、ブラジル北東部を訪れ、現地視察と交流旅行を行なった。一行はバイーア州ジュアゼイロ、クラサ、ペルナンブコ州ペトロリナ、ピアウイ州を回り、乾燥地帯セルトンで灌漑によってぶどう生産をする現場や、セーラ・ダ・カピバラ国立公園を見学し、各地日系コロニアや組合と交流を深めた。

 今回は男性4人、女性26人の計30人で出発。25日、グアルーリョス空港を午後1時に発ち、ペルナンブコ州ペトロリナに午後4時すぎに到着した(サンパウロ時間では5時過ぎになるが、ここは夏時間がないので1時間早い)。
 迎えてくれた地元ガイドの案内で、サンフランシスコ川を渡ればすぐ隣の州になる場所、バイーア州ジュアゼイロの日本人会会館へ向かい、そこの婦人部が用意した夕食を御馳走になった。
 80年代のコチア組合のプロジェクト参加で、サンパウロ州から移り住んでいる人達、またADESCの栖原マリーナ指導員が訪れていた頃の人達との何十年ぶりの再会もあった。
 翌26日は、ペトロリナの80キロ先にあるプロジェクト・クラサへ。宇津巻義雄さん、八恵美さん夫妻のぶどう園を見学した。
 プロジェクト・クラサは79、80年にブラジル政府が(日本政府の援助も受け)、ポンプ、送水パイプ、運河による灌漑設備を設置して、サンフランシスコ川流域の開発のために計画したもの。
 コチア産業組合中央会は83年、10年間の共同協定を結び、各地から開拓希望の組合員とその子息を募った。結果、29人で1935・40ヘクタールの開発を始めた。そしてブラジル北東コチア農業生産者協会APROCAC―NE(Associacao de Produtores da CAC-NORDESTE do Brasil)を設立した。
 気象条件、また作付け法管理条件など、全て違う環境の中で、大変な苦労であったようだ。
 その後、コチア組合が閉鎖し、区画地はぶどう業者共同体(Condominio Parque das Uvas)となって存続した。グループの生産活動は新たにジュアゼイロ農業協同組合(Cooperativa Agricola juazeiro da Bahia)として団結。日系以外の生産者も加わり、現在、組合の初期の精神が受け継がれている。統制のとれた団体となっており、ぶどうの輸出などを大きく展開中である。
 宇津巻義雄さん(ジュアゼイロ農業協同組合会長)のぶどう園は、気候条件と潅水管理の調節が完璧に行われているようだった。ぶどうの実はビッシリと生り、見事にぶら下がっていた。すでに出荷が始まっているという実は非常に甘く、ちぎりたてを皆で頂いた。
 色々な種類が植えてある広いぶどう園は、無線ラジオで連絡を取り合っていた。
 次は田村オスカールさん、ルシアさん夫妻の輸出向け出荷荷造りの現場の見学。
 70人余りが選別と箱詰め作業をテキパキとこなしていた。部外者は立ち入り禁止であったが、ガラス窓ごしに作業を見せてもらい、ここでもまたおいしい種なしぶどうをタップリ食べた。
 そして昼食は、宇津巻八恵美さん(ジュアゼイロ農業協同組合婦人会会長)のお宅で、妹さん、お母さん、その他多くの方が用意してくださったおいしい食事を頂いた。
 その時に佐々木パウロさん(八恵美さんの義弟)の工場で作っている純粋のぶどうジュースをご馳走になり、皆すぐにお土産のために注文した。(つづく)