10月26日午後からジュアゼイロ農業協同組合を訪問。箱詰めのぶどうに加え、輸送を待って冷蔵倉庫の中にあるものなど、たくさんの荷が収容されていた。
季節が反対になるため、北半球が寒い時期でも、こちらでは収穫がある。しかも高温乾燥地で糖度の高い果実がとれる当地からは、9月から12月まで主にヨーロッパ、アメリカ、カナダに輸出されている。現在はアジアへも輸出されるようになったという。
国内の需要も多く、北はパラー州ベレンから南はリオ・グランデ・ド・スール州ポルト・アレグレまで、ほとんどの州、首都に出荷。糖度の高さが好評とのこと。
このように、ぶどうが優秀な成績をあげているのを見せてもらった。ぶどう以外にはマンガ、マラクジャ、コッコなどの畑が見えた。
その後、高田タカシさんの案内で、サンフランシスコ川にある送水用の大きなモーターポンプ装置が設置されている場所へ。今まで見せてもらった畑の農産物は、全てここから送った水で育っている。経費をたずねると「水代が月に1ロッテ当たり6千から7千レアル」とのこと。
広大なサンフランシコ川はミナス州に始まり、バイーア、ペルナンブコ、セルジッペ、アラゴアスと5つの州を渡って海へと流れ出る。
一時も休むことなく膨大な水が汲み上げられているこの川。水位がかなり下がったとはいえ、町の中、また全ての農園に水を供給しているとは想像もつかぬほど、豊潤な水がゆったりと流れていて、自然の大きな恵みを感じた。
夜は、プロジェクト・クラサの会館で地元の人々と交流。自己紹介と活動内容を教えてもらい、高田タカシ氏から今に至るまでの経過を話してもらった。
「入植して、初めは誰もこのような所での経験がない。ぶどうが収穫出来るようになるまでは、みんな色々なことをしました。食いつなぎにです」。今は軌道に乗っているが、ここにたどり着くまでは大変なご苦労であったと思われた。
その夜は、そこの皆さんのお宅に泊めていただいた。
翌27日は、水力発電ダムを船で渡り、その中で昼食。その後バスで、乾燥のために緑がほとんど見られず、ただ枯れ木が立ち並んでいるセルトン真っ只中の道を460キロ走った。ピアウイ州サンライムンド・ノナット市のホテルに夜の11時近くに着き、そこで宿泊した。
28日は、まずホテルを出てアメリカ人類博物館(MUSEU DO HOMEM AMERICANO)を訪問。そこにはセーラ・ダ・カピバラ国立公園で発掘された多くの遺跡品と、何万年も前に生息していた動物達の化石、また壷に埋葬されたと見られる人骨の化石などが展示してあった。
博物館のスタジオの中には、国立公園の壁面に描かれている絵がスクリーンに映し出されていた。
その後、国立公園へ向かい、そこのガイド4人と一緒に炎天下の中を歩いた。(つづく)
ホーム | 連載 | 2015年 | ADESC北東伯視察旅行=農協婦人、セルトンを行く=レジストロ在住 滝井孝子 | ADESC北東伯視察旅行=農協婦人、セルトンを行く=レジストロ在住 滝井孝子=(2)=母なるサンフランシスコ川の恵み