大きな岩壁には、今でも特徴ある数々の大昔の壁画をはっきり見ることが出来た。年間を通じてほとんど雨のない乾燥地帯であること、そして切り立った岩という環境が、しっかり遺跡を保護しているのだろう。
遺跡品が掘り出された場所は、深い大きな穴になっていた。現在見つかっているのは、およそ紀元前1万2千年から1万年前までのものだという。そこには人々の生活の跡、生息していた動物達の化石、大きな動物の骨、魚、蟹などの跡がうかがわれる。
何らかの原因で雨が乏しくなり、わずかに残ったであろう水溜りに、水を求めて集まった動物達が折り重なって死に、多くの化石が見つかった場所があるそうだ。
この国立公園は1970年代にブラジル人とフランス人の考古学者たちにより発見され、保護が求められて79年に国定公園となった。91年には、世界遺産としてユネスコに登録された。
現地生まれのガイド、マーリオさんは、「この発見で、人類がアフリカから北米へ、そしてブラジルに南下したという説が覆された。アフリカから直接来たのではないかと見られるようになった」と言う。
そしてその日は会えなかったが、「79年に考古学研究隊を率いていたニエデ・ギドン女史は、83歳になられた今でも自ら発掘に行かれています」とのことだった。
高温でどこを見ても乾燥し、枯れ木のような木が立ち並んでいる。池が作ってある場所があり、動物達のために市が車で水を運んでいた。
その後、風化によって岩に空いた大きな穴、ペドラ・フラーダを見に行った。壁画の絵をデザインした陶器を作っている工場とお店も訪問した。
工場責任者のアントニオ氏は工場内を案内してくれ、「元はレンガを作っていたのですが、20年前、ニエデ・ギドン女史がサンパウロから日系陶芸家の山田ソウシという人を連れて来ました。その人が技術指導をして、今のように陶芸作りをするようになりました。サンパウロのメルカドンにも送っています」と説明。そして「(陶器を)焼くのは木を切らないためにも、ガスを使っています」と話した。陶器に描かれている絵も、一つ一つ手で描かれていた。
そこから再びバスで、町も家もあまり見えず枯れ木が立ち並び、なぜか所々ヤギがいる道を走り、ペトロリナに帰着。
29日、ペトロリナの町をガイドに案内してもらう。「今、大きな企業が沢山入ってきていて、大学も出来て、どんどん大きくなっています」とガイド氏。
川の水による灌漑で、芝生や並木など、町は緑の綺麗な場所になっている。少し観光して、一同無事サンパウロに帰り着いた。
今回の旅行では、自然の大きな恵みである、ミナスで生まれたサンフランシスコ川が印象に残った。あれほど遠くから非常に乾燥した地を流れてきて、ペトロリナ町、ジュアゼイロの町、クラサの農園全てに灌漑している。それでもまだ、なみなみと流れているこの恵みの豊かさ。
そして自然の厳しさ。乾燥で全ての木が枯れ木のようになり、水も緑も見えないこの厳しさ。しかし、小雨が降っただけで一斉に花が咲き、葉が出るという。これまた自然の逞しさ。
そして皆が水の大切さ、雨が降ることや水があることの有難さをしみじみ感じた旅であった。
今度の旅行はCKC(中央開発コーポレーション)主催の「南米婦人の集い」で、ジュアゼイロの宇津巻八恵美さんとADESCの仲間が何度も会い、仲良くなったお陰で実現出来た。大変お世話になりました。(終わり)
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