1年ぶりの先生との再会に、日本語でのおしゃべりが止まらないのはナラ・ユナ・エミリーさん(中1)。昨年ルーマニアから来日し、焼津の教室で学んだ。「最初はこんにちは、ありがとう、おなかすいた、しかわからなかったの」とおどけて話す日本語は、来日1年とは信じられないほど達者だ。
それを笑顔で聞いているのは馬場小百合さん(26)。彼女も幼いころ日本へやってきた日系ブラジル人三世。志太教室の教務副主任として活躍し、子供たちに慕われている。
週明けにいよいよ小学校へ転校するという、ビンデリア・ジュンさん(8)はモンゴルから来て3カ月。父親が日本人のため日本語の習得が早く、早期の転校が決まった。
3カ月間、ジュンさんを見守ってきた講師の萩原源さん(24)は、学生時代に山下理事長の自然体験教室に参加していた。大学卒業後就職活動をしていたところ、山下さんに声をかけられた。
かつて自分に作ってもらった居場所を、外国から来た子供たちにも作ってあげようと意気込んで講師になったが「学ぶことばかり。この子たちの成長の早さには毎日驚いて感動します」と笑顔で語った。
虹の架け橋教室の役目は、なるべくスムーズに公立学校に入っていけるように準備を手助けすることだが、同協会はフォローも忘れていない。
「以前学校から連絡があって、見に行ったんです。そしたらいろいろため込んでいたのでしょうね、急にぶわっとこの子たちが泣き出して」と思い出す山下さん。
いくらある程度の準備をしてきたと言っても、相談をできる相手はいない、友達もすぐにはできない、勉強にもなかなか追いつけない。子供たちの心はぎりぎりに追い詰められてしまう。
「そこで月に1回様子を見に行く日を作って、最近どうって話聞いて。そしたら3カ月目にはもう大丈夫ってけろっとしてたね」。
今回同窓会を提案したのは、そんな元教室生の一人、ゴヨネ・レスリルさん(フィリピン、14)。3年前に来日し架け橋教室で学んだ後、小5に転入した。最初はクラスメイトの日本人から声をかけてもらえずつらかったと言う。
同時に教室で学んだ13歳、12歳の妹たちデシェニャさん、シェディーさんもそれぞれなかなかクラスに馴染めずにいたが、なぜか姉妹同士では相談しにくかった。
「だんだん学校にも慣れてきて、連絡を取り合っている架け橋教室の先生に、みんなで会いたいって言いました」。
妹たちとは、今では進路の相談をしたり将来の夢を話し合ったりするようになった。姉妹の間では日語で話す。「先生やみんなに会えて嬉しい。たくさん話をしたい」。
虹の架け橋教室は、教室を巣立ってからも、子供たちの心の支えになっているのだ。(つづく、秋山郁美通信員)
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