ホーム | 2016 | 11月 (ページ 34)

11月 2016の記事一覧

国連=ブラジルとベネズエラ両代表が口論=国民投票の実施をめぐり

 スイスのジュネーブで1日に開かれた国連人権理事会でベネズエラの人権問題が取り上げられ、ブラジル代表が同国に対し、ニコラス・マドゥーロ大統領の罷免を求める国民投票のための署名を打ち切ったことを批判、同国代表と激しい口論となった。3日付エスタード紙が報じている。  ブラジル国連大使のレジーナ・ダンロップ氏はこの日の理事会で、ベネズ ...

続きを読む »

東西南北

 ダッタフォーリャによる国の保安に関する最新アンケート調査で、ブラジル人の4人に3人が、「自分は強盗か警察官に殺されてしまうのではと恐れている」と答えていることがわかった。しかも、実際に殺人被害にあうのは男性が9割以上であるにも関わらず、女性の83%がそのように感じているといい、男性の69%を大きく上回っている。また、16歳から ...

続きを読む »

国内最大級の日本公園を訪ねて=健全運営に向け奮闘、マリンガ=(上)=サンパウロ市から出張イベント、初の試み

広大な敷地を持つ立派な日本公園

 北パラナにあるマリンガ日本公園からの要請を受け先月中旬、ブラジルの茶道裏千家と生け花協会が出張お茶会と花展を開催した。サンパウロから裏千家の林宗一代表ら約15人の茶道関係者、また生け花協会のエリソン・トンプソン・デ・リマ会長ら6、7人の華道家が参加した。一般参加もおり記者を含めた30人弱を乗せたバスは14日深夜、目的地へと向か ...

続きを読む »

秋の叙勲=ブラジルから9人が受章=上田雅三氏に旭日重光章

(上段左から)上田雅三さん、松尾治さん、篠原正夫さん (下段左から)木多喜八郎さん、尾西貞夫さん

 日本政府が3日、『平成28年度秋の叙勲』受章者として当地在住の邦人4人、ブラジル人5人の計9人を発表した。以下、受章者と功績(敬称略)。 【邦人叙勲】 ◎岡崎勝一(70、山形)=旭日双光章=。在留邦人への福祉功労。元ペルナンブコ総合連邦大学医学部付属病院医師。元レシフェ文協会長。 ◎松尾治(78、福岡)=旭日双光章=。文協副会 ...

続きを読む »

活性化へ訴え、県連会議で=故郷巡りや弁論大会の報告も

 ブラジル日本都道府県人会連合会(山田康夫会長)の10月代表者会議が、先月27日に文協ビル内の県連会議室で行われた。7、8月の収支報告が行われたほか羽藤ジョルジ市議が当選の感謝を述べた。  第19回日本祭りの会計報告は来月に持ち越された。また、本橋幹久氏から行われた第46回移民のふるさと巡り報告では、「ハワイやカリフォルニアなど ...

続きを読む »

■今週末の催し

 5日(土曜日)  青葉祭り、午前7時、宮城県人会(Rua Fagundes, 152, Liberdade)      ◎  大志万学院文化祭、午前8時、同校(Rua Ferdinando Galiani, 80 , Vila Mariana)      ◎  農業セミナー、午前8時半、宮城県人会(Rua Fagundes, ...

続きを読む »

真木さんナタル公演=援協などで券取り扱い

 日本の演歌歌手、真木柚布子さんによるサンパウロ市でのクリスマスコンサート(12月17日、客家会館)の入場券が、東洋街3カ所でも取り扱いが始まった。  援協(Rua Fagundes, 121)、衣料品店ひまわりモーダス(Rua Galvao Bueno, 191)、伏見エルザさん(Rua Galvao Bueno, 573, ...

続きを読む »

大耳小耳

 大相撲九州場所(11月13日初日)の新番付が発表された。当地出身の魁聖は、前頭2枚目として今年最後の土俵に上がる。夏場所で初めて三役まで昇進したが、それから3場所かけて降格となった。その時は小結で勝ち越し、関脇で負け、再び小結で臨んだ先場所は6勝9敗だった。彼も12月で30歳。三役復帰などもう一花咲かせたいところだが、「とにか ...

続きを読む »

宮尾進さんのこと=サンパウロ市 中島宏(西風会)

 宮尾進さんが亡くなられた。  日系コロニアにとって、かけがえのない人がまた一人、消えた。それに対する無念さと同時に、「諸行無常」という言葉が否応なく迫ってくるという感じもある。  宮尾さんは、ブラジルの日本人移民の歴史を丁寧に調査し、そこに生じて行った様々な事象を分析し、考察することによって、移民とは何かという大きなテーマを終 ...

続きを読む »

『百年の水流』開発前線編 第二部=南パラナ寸描=外山 脩(おさむ)=(11)

婚約者から逃げて来た男  1909年には、もう一人の日本人がクリチーバ入りした。AYUMIによると、シンキチ・アリカワという名で、「婚約者から逃げてきた」と言っていたという。  笠戸丸の2年前、1906年、隈部三郎一家と日本から来た7人の青年の一人、有川新吉だった。  隈部は、改めて紹介する必要もあるまいが、元は鹿児島県の判事で ...

続きを読む »