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14年W杯時のルガーノ(Gil Leonardi/Imprensa MG)
14年W杯時のルガーノ(Gil Leonardi/Imprensa MG)

ルガーノがサンパウロ復帰=05年のクラブ世界一立役者

 サンパウロFCに待望の人気選手が帰ってきた。ウルグアイ代表の元主将でもあったセンターバック、ディエゴ・ルガーノ(35)が10年ぶりにサンパウロFCのユニフォームを着ることとなった。
 ルガーノは2003年に選出されて以来、ウルグアイ代表として通算95試合に出場の世界的におなじみの選手だが、ルガーノのキャリアが本格的に注目されたのは、03年に彼がサンパウロに入団してからだ。
 当初は、当時のオズワルド・オリヴェイラ監督の意向を無視し、マルセロ・ゴウペイア会長が強引に獲得した選手として疑問視もされたが、数カ月後にオリヴェイラ監督が辞任すると出場機会を獲得。ルガーノは次第にチームにとって不可欠なセンターバックとなり、2005年のシーズンにはリベルタドーレス杯を制し、サンパウロFCの南米一、さらにはクラブ・ワールドカップでの世界一にも貢献した。
 だが、ルガーノは06年のサンパウロ州選手権を最後に、トルコのフェネルバフチェに移籍。10年の南アフリカW杯ではウルグアイ代表の主将をつとめ、ウルグアイの準決勝進出に貢献した。
 その後のルガーノはフランスのPSGなど、チームを転々とし、15年にはパラグアイのセーロ・ポルテーニョでプレーしていたが、その頃から、サンパウロFCのファンの間で「ルガーノ復帰待望論」が起こり、シーズン中にも関わらず、そうした記事がブラジル国内で上がり続けていた。
 そんな待望論の起こる中、ルガーノは12月11日、05年世界一のメンバーであるサンパウロFC主将、ロジェリオ・セニの引退試合に出場。これで復帰待望論はますます高まった。
 サンパウロFCへの移籍が正式に決まったのは1月に入ってからだ。ルガーノはG1サイトへの取材で、「もっといいオファーなら中国やカタールからもあったし、パラグアイでも悪いわけじゃない。でも、サンパウロFCは僕の歴史の一部なんだ」と語り、愛着の強さをにじませた。
 12日、ルガーノはサンパウロのクンビッカ空港に降り立ったが、そこにはサンパウロFCのサポーター約1千人がごった返していた。空港内は「ルガーノが帰ってきた!」と叫ぶ人や、応援歌を歌う声で溢れた。この熱狂は、ルガーノが空港を後にして20分してからようやく収まった。
 ルガーノの契約は17年6月30日までで、チームでは早速、セニに代わる主将をまかせられる。サンパウロFCは、監督も14年にサンロレンソ(アルゼンチン)を南米一に導いたエドガルド・バウザ氏に代わり、11年ぶりのリベルタドーレス杯制覇、8年ぶりの全国選手権制覇を狙う。(13日付エスタード紙などより)