「寄生木」第一号は原稿用紙を二つ折にし華絵の美しいペン字の行書で出された。昭和二十一年の秋であったと記憶する。
左に覚えている歌だけ記す。
棉の芽は未だ幼し降る雨の激しくなれば気がかりて来ぬ
華絵
しめやかに雨降る夜半をちろちろと床下になくこおろぎの声
飯島 清
まぎらせどままにはならぬ玉突きのなおいらだたし紅白の玉
吾妹子の小指の傷を見てやりつつほのかに通うぬくみうれしも
富岡 芳子
この年も変らでさくら咲きけると故国の友の便り待たるる
同 美津子
墓守に四百レース、プレゼントして墓のとびらの鍵をかりけり
鈴木千代吉
滝落つる水の飛沫のぬれ岩に昼日の差して苔青く見ゆ
藤田 朝寿
パラソルをさして乗りたる乙女らのカヌーは岸をいま離れゆく
去年来しときに飛びいし白鷺よ今年は見えず何方去にしか
千代吉作の「滝落つる」は華絵が激賞した作品である。千代吉は現在モジ・コッケーラ九キロで悠々自適の生活を送っている。
華絵の都合上「寄生木」は第二号から私が編輯を受けもつことになった。
第二号は飯島政夫の追悼号となった。政夫は闘病のため作歌を中断していたのである。前記の飯島清の兄に当たり、私にとって政夫は兄弟子である。
マアちゃんの愛称で村の人に好かれていた。
また音楽に才のある人でチエテ移住地の音楽は飯島兄弟によって始まった、と言ってよいくらいである。
政夫の死は村の人々に惜しまれた。
飯島兄の死を悼みて 朝寿
もろこしの穂の出でそめし夏半ば君はかえらぬ人となりたり
逝きましし君を想えばもろこしの葉ずれの音もうら寂しかり
追悼号には吉川順蔵も出詠した。順蔵は俳人であった。青年達に刺激されて投稿、作品の追悼歌は、華絵が激賞したが一首も思い出すことが出来ない。
チエテ産業組合がカレンダーに載せる標語(採用十二点)を募集したとき
順蔵の応募した作品が三点入選して村の人を驚かせた。
大海に航路あり、我らに組合あり
人はいさ何と言わうと我が家は組合利用で鼻は高いぞ
右の作品から推して順蔵の詩才の程がよく分かる。