アンゴラ人女性、カルメン・モウロさんが初めてブラジルの地を踏んだのは1994年。アンゴラ内戦を逃れてやってきた時のことだった。
ブラジルに9年住んだあと、一旦は内戦の収まったアンゴラに帰ったが、初めてやってきた94年から22年後の今、最初とは違う、高貴な理由で彼女はブラジルに戻ってきた。
カルメンさんは2月5日に始まるサンパウロのカーニバルで先頭を切る「ペロラ・ネグラ」(PN)の打楽器隊で、初の外国人の女王(ハイーニャ)として、パレードに参加する。
カルメンさんをPNに参加するよう招待したのは、同エスコーラの元ハイーニャで、カルメンとアンゴラで共に働いた経験のあるカミーラ・キンチーノだ。今年のPNテーマ曲の中にアンゴラを歌った一節がある。
「私ももう38歳、この年齢でのハイーニャは珍しい。大きな挑戦だと思っている」とカルメンさんは語った。
アンゴラ共和国ベンゲラ州生まれのカルメンさんは、94年に両親と初めてブラジルを訪れた。「当時、私たちは言わば〃難民〃としてここに来た、しかし、ちゃんとビザも持っていたから、難民そのものではなかった」と語る。アンゴラ内戦は、数回の一時停戦をはさみつつ、1975年から2002年まで続いた。「私の両親は、ブラジルで安定して暮らせるための職を探していた」と語る。
現在は3児の母であるカルメンさんは、「17歳の息子が(あられもない衣装の)ハイーニャの私を見てどう思うかしら」と微笑みながら語る。
カルメンさんはブラジルに着く前からサンバを知っていた。「私の国アンゴラではダンスが盛んで、どんなダンスでも踊る」と語るが、サンバのステップをマスターするのには苦労したことも認める。「私は、今日はこの人に、明日はあの場所で、と習うのが好き。本番までにもっと練習して良いダンスを見せる」と決意を見せた。
彼女のサンバの先生のロベルタ・ケリーさん以外に彼女にインスピレーションを与えているのは、サンパウロ州出身の日系人タレントで、毎年リオとサンパウロのサンバに参加するサブリナ・サトウだ。カルメンさんは「ルックス、スタイル、彼女の纏うゴージャスな雰囲気。私はサブリナ・サトウが持っている全てに凄く憧れているの」と言うほど、サトウに虜になっている。(28日付G1サイトより)
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