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チエテ移住地の思い出=藤田 朝壽=(11)

 常日頃欲しいと思っていた本がある。
 「万葉集評釈 江戸時代和歌評釈」「子規・節・左千夫の文学」佐々木信綱の「豊旗雲」谷崎潤一郎の「文章読本」「朗吟名詩選」福沢諭吉の「人生読本」バルザックの「この心の誇り」選んだ本を千代吉さんに持って行く。彼は品次君と吉川君が選んだ本を手帳に記入しながら恵比須顔である。
 珍しい本では山鹿素行の「中朝事実」が有ったので、これも買うことにする。

 「中朝事実」は乃木大将が愛読した本で殉死する前の日に参内し、摂政宮(大正天皇)に献上した曰くある本、片っ端から見てゆくうちに、あった!
 この本一冊あれば短歌の勉強が出来る。私が見出したのは金子薫園の「短歌の作り方」であった。早速三人に見せると、喜びの表情を顔に出すのであった。
 二つの大きなボール箱は本で一杯になった。
「千代吉さん、お金は大丈夫か?」と小声で私が尋ねると、「心配するな 有り金全部持ってきたから、この本は買うなら今だ。邦人千二百家族を有するチエテ移住地だ。後、十日もすればこの本は全部売り切れだ。欲しいと思う本は一冊でも多く買っておけ」と嬉しいことを言ってくれる。
 偖、此所で本購入の資金のことに就いて一と言ふれておく。この度の本購入の資金は親から出た金ではない。我々八組の青年が紀元二千六百年祭を記念に〇・一アルケールの畑に、月一度の日曜日を利用して共同作業、又は交替制で棉を植付けて儲けた金がたんまりあったのである。
 本を購入しても、まだ一コントス余の金が有ったが、一九四九年、千代吉さんの伯父、田中儀一氏が戦後第一回目の訪日の折、広島の原爆見舞金に持って行って貰った。
 日本円で一万円は海外同胞からの見舞としてはナンバー1であったと聞く。
必要と思う本は全部揃えることが出来たのでストップする。
 奥さんに店が閉まる頃に来ます、と言って表に出る。時計を見ると十一時五十分である。ビックリ食堂の前に行くと大内君と鈴江君が待っていた。
 六人の青年が店に入ったので主の愛想がいい。メーザを前に腰かけて待っていると、六人分の定食がメーザ一杯に出る。
 ここで又、千代吉さんから注意がある。
「夕食はサンドイッチで済ますから、よく噛んでゆっくり腹いっぱい食べるように」となかなか芸のこまかいことを言う。
 さすがに彼は大家族の(四夫婦で総勢二十数人)一員だけあってもの事をよく心得ている、と感心する。
 早起きをしてコーヒーを飲んだだけで来ているので皆腹ペコである。
 何を食べても美味しい。十二分に食べて暫く休んでから店を出る。
 会計の千代吉さんが支払いを済ませて出て来たので皆で商店街を歩く。
 大きな反物店はブラジル人で他の商店はみな邦人である、
「オイ こんなに揃って来ることは滅多にないから記念写真を撮っておこう」と品次が言う。品次君は高山写真館の一家とは同船者だという。

 彼はモジアナのオンダベルデから昭和十五年、私の父が所有していた土地二十アルケールを購入して移って来たのであった。
 高山さんと私は、アレグレ区の原始林の近くにあったトタン屋根の大きな収容所に暫くの間一緒に生活した仲であり、入植二年目に高山さんの土地は父が購入し浅からぬ縁がある。
 久しぶりでお会いした高山さんは大喜びで私たちを迎えて下さる。記念の写真を撮り、コーヒーを呼ばれてから、公園へ行き時間をつぶす。