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私の2世観について=サンパウロ 平間浩二

 2世観といっても時代的背景及び家族構成、生活環境等によって千差万別であると思う。時代の流れから大別すると、戦前と戦後に分けることができる。このように二分しても、戦前、戦後の2世の人間性、人格等については何ら変わることはない。あえて言うなら、戦後よりも戦前の方が日本的文化の素養を身に着けている人が多いように思える。
 戦前の移住者の大半は出稼ぎが目的であり、ブラジルで一旗揚げて故郷に錦を飾る夢を見て移住したのである。しかし、現実はそんな甘くはなかった。戦前の移住者の殆どが農業移住者であり、言葉の全く通じない国に来て、筆舌に尽くし難い苦難の日々であった。ここで生まれた2世たちは、いずれ日本へ帰ると決めていたこともあり、移住地内にある日本語学校で、日本語の勉強に親たちは力を入れていた。
 第2次大戦勃発後は、ブラジルの官憲より、日本語学校はもとより日本語の学習が禁止されてはいたが、殆どの教師・子供たちは秘かに隠れて勉強を続けたのである。何時か日本に帰ろう、何時かは日本に帰ろうと、儚い夢を持ち続けているうちに10年、20年と経ってしまった。
 大戦の結果、広島・長崎に原爆の投下のため、日本は未曽有の敗戦を喫し、国民全体が窮乏生活に陥ってしまったのである。その日本の現状を知った大半の移住者たちは、『日本に帰っても仕方がない、この国で頑張ろう、この国に骨を埋めよう』と出稼ぎ根性を捨て、この大地に根を張ろうと真剣になって子供の教育に取り組んだのである。
 生活は窮乏を極めていたが、子供たちを何とかして大学にやろうと、汗水を流して必死に働いた。親の苦労を身に染みて感じていた子供たちは、一所懸命に勉強をして大学を卒業した。町に住み馴れた上に、大学を卒業した後は、両親の元へ帰って農業をやろうとする子供たちは殆どいなかった。
 その他に幸運にも良いパトロンに恵まれ、順調に独立した農業者の子供の中には、大学を卒業した後に親の農業を継ぐ者もいた。このような環境に育った子供は、農業技師及び農業経営者として近代的農業経営にと飛躍していった者もいたのである。
 親が苦労した人ほど、子供には苦労させまいと、子供の希望する職業に就かせるようになった。このようにして日系社会からブラジル社会に羽ばたきだした2世たちは、自分は日系の血を引くブラジル人だと自信と勇気を持つようになっていった。
 1908年の第1回移民船笠戸丸がサントス港に到着してから、昨年で107年を迎えた。又ブラジル日本外交樹立120年でもあった。近年、日系人は政界初め、ありとあらゆる分野の職業に進出を果たしている。そして日系人の勤勉さと誠実さが認められ、重要な地位を築くと共に、その存在価値は、今後、益々地域社会及び日伯両国の反映と調和に貢献して行くことだろう。1世が果たせなかった悲願を、2世以後の世代が是非果たしてくれることを心より願っている。
 これからは日本語の解からない3世、4世の活躍する時代が必ず到来する。時代の趨勢で移住制度が廃止となり、移住者が途絶えて久しい。あと30年もすると1世の代は完全に終焉する。又2世の時代もそろそろ終わるであろう。しかし、日本語は消えても日本文化は継続してもらいたい。
 順調に発展している組織は、確実に世代交代と人材の育成を計っている。それにはあくまでも、青年を心から愛し信頼することが肝要である。何時までも要職にしがみついている老人たちの集団は衰退している。1世・2世・3世という世代を超えた長いスパンでの人材の育成が即、日本文化の継承を可能にすると言っても過言ではない。
 現在、各地域で市を巻き込んだ日本祭り等が行われている。日本語が出来なくとも、確実に日本文化が浸透している。これから日本文化を益々発展させていくためにも、各地域社会及び組織にあっては、最重要な課題は『早めの世代交代』と『人材の育成』を徹底的に図るべきだと切に願うものである。

「風薫る人材育成急務なる   浩二」