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「ある日曜日」(Um Dia de Domingo)=エマヌエル賛徒(Emanuel Santo)=(8)

 意外なことに、守屋の言葉は嘘ではなく、その女は20代半ば過ぎのラテン系の美人だった。肩まで伸びた栗色の髪、くっきりとした瞳、いつも微笑みを浮かべているような唇、外人にしては小柄で細身だが出るべきところが出た体、リカルドはその女のすべてに魅せられた。
「パウリスタ(サンパウロの女の子)の魅力にはめられたんだ?」
「アナは外見だけでなく、頭もよかったです。サンパウロ大学を卒業して英語はペラペラ、それに日本語のクラスもとったらしくて、けっこう話せました。彼女が住んでいたマンションは、数年前に死んだ父親が残したもので、僕が行った時は母親と二人で住んでいました。アナの双子の妹は、就職してからパラナ州に住んでいるそうです。ブラジルは景気が悪くて、大学を出てもろくな就職先がないし、母親を養うためにもぜひ日本に行って働きたいと泣いて頼まれました。僕は、一人で日本に行くのは寂しいし、人助けのつもりで、この女性と付き合ってみようと思いました」
 「お見合い」から数日後、リカルドはアナとの「結婚」を承諾した。守屋は直ちに記入済みの婚姻届と必要な書類を揃えてくれ、二人はそれらにサインをしてサンパウロ市の公証役場に提出した。書類の備考欄には、アナが直筆で「万が一離婚する際は財産を請求しません」と明記した。守屋は、二人が帰国した時は、「離婚手続の方もアフターサービスするよ」と言っていた。
 日本に出発する前、守屋はもう一度リカルドをアナが住むマンションに連れて行った。アナの母親と共に「家族写真」を撮るためだ。二人の「結婚」が怪しまれないために、守屋から「家族の写真を携帯したほうがいい」と言われたらしい。守屋がカメラマンになって、まずは一人ずつ、最後にアナの母親を真ん中にして、三人並んで「家族写真」を撮った。
「これがその時に撮った写真です。どれもよく写っているでしょう」
「奥さんはお母さんとあまり似てないな。色もお母さんの方が黒いね」
「南米では人種間の混血が進んでいますから、親や兄弟でも顔つきや肌の色が違うことはよくありますよね」
「それもそうだな・・・」
「アナは僕に妹さんの写真を見せてくれましたが、双子だけあってそっくりでした。二人とも幼い頃からとても仲がよかったそうです。守屋さんは、なぜか僕に、『そんな写真は見なくていいよ』と言いました・・・」
「それから、アナは僕に小さな箱に入ったプレゼントをくれました」
「何をくれたの」
「開けてみると中には指輪が入っていました。アナが『結婚した二人が指輪をしてないのは不自然でしょ』と言ったので、よく見ると彼女はもう左手の薬指に指輪をしていました。貰った指輪の裏側には、『アナからリカルドへ、愛をこめて』と書かれていて、サイズはピッタリでした」
 そして二人は、2005年6月初めに、日本に旅立つことになった。守屋のおかげで、日本での「定住者」資格のビザと米国のトランジット・ビザは思ったより簡単にとれた。二人は出発の当日サンパウロ空港で落ち合い、同じく守屋が世話をした三組の日系ブラジル人の家族と共に、ニューヨーク経由東京行きのJAL便(現在この便の運行は中断中)に搭乗した。
 一番後ろのエコノミークラスは、出稼ぎのため南米と日本との間を行き来する日系人で満員だった。