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ニッケイ俳壇(879)=富重久子 選

   ポンペイア         須賀吐句志

労はりの言葉をそへて御慶かな
【新年の祝辞「御慶」は、おめでとうございますという、とても優しい佳い言葉である。
 この句はその言葉の次に、きっと自分より年上の親しいお年寄りに「おめでとうございます。ようこそ、お元気でよいお正月を迎えられましたか?」と優しい労わりの声をかけられたのであろう。平坦でありながら優しさの込められた、しみじみ心に染む俳句である】

お年玉見あげて渡す孫二人
【二句目、「お年玉」は今は子供達でなく孫達になってしまった。見上げる程成長した二人の孫さんとのお正月の楽しいひと時の一句】

物事にこだはらぬ性毛虫焼く
【三句目、昔庭の木の葉裏にびっしりとこびりついて蠢いている毛虫を見て叫んだ時、隣の小父さんが事も無げに新聞紙に火をつけて焼き払った事を思い出した。「こだはらぬ性」とは真にその通りで珍しい俳句である。人事を詠んで素晴らしい作者。巻頭俳句として推奨させて頂く】

初夢や日本ブラジルかけめぐる
蝉鳴くや嬉し悲しを乗り越えて

   サンパウロ         山本 紀未

誰彼れのホーム入り聞く今朝の秋
【この句の季語「今朝の秋」は、丁度最近感じられる朝の気配にある、一瞬のふと身につたわるもの。例えば朝起きた時ふと空を見た雲の流れや、出窓の小鉢にさく野草の花にもその露けさが、昨日の夏の趣と違うように感じられたりする。それがこの「今朝の秋」という季語であろうと思う。
 最近句会の中で養老院に入ったという友達がいて、話を聞きながらの一句。この作者らしい鋭い感覚の季語の選択であった】

年新た亦世話になる辞書季寄せ
日本語を話さぬ嫁も鏡餅
宇宙まで行く世となるや天の川

   カンポス・ド・ジョルドン  鈴木 静林

懐かしき駄菓子の味も避暑の町
【「駄菓子」と言えば、煎餅・飴玉いろいろあるが、差し当たりブラジルの駄菓子と言えばなんだろう。そうだ昔移民して始めたバールで売っていた中に〝アボーブラドーセ〟があった。これは確かに駄菓子である。その町に裁判所があってそこの判事さんが前のホテルの昼食後、必ず寄ってそのアボーブラドーセを食べていた事を思い出す。きっとこの俳句の様に、子供の頃を思い出していたのであろう。素朴で懐かしい俳句である】

避暑の町乗馬楽しむ日暮れまで
町極暑暫く避けて博物館
鬼遣(や)らひ笑ひさざめき福は内

   サンパウロ         渋江 安子

鮭買ヘばおさしみにしてあげましょか
【最近の魚屋さんにはブラジル人も多い。作者が鮭の切り身を買うと「おさしみにしてあげましょか」、と親切に言われてびっくりしたり嬉しかったり。下五の「あげましょか」がとても楽しい響きの伝わる佳句であった】

野牡丹や丈低くけれど満開に
天の川共に眺めし友何処
ベンテビー声に覚まされ連休日

   サンパウロ         秋末 麗子
鉢植ゑの石榴大きな実を一つ
【うちのベランダに、もう何年目かにもなる石榴の木が初めて小さな拳大の実をつけた。中々熟れなかったが、丁度句会の日にはぽっかりと熟れて赤い実を見せたので、何人かがその石榴の俳句を詠んだ。その中からこの俳が、一番私の心を引き嬉しかった。よい写生俳句である】

差別なき国の平和よ天の川
何千人息を一つにサンバ踏む
星月夜宇宙の謎に生かされて

   サンパウロ         山本英峯子

傘寿とは少し驚き唐辛子
【五・六十の頃は、何とも思わず過ごして来たが、八十が過ぎると急に一年一年があっと思う間に過ぎてしまって驚く。
 作者も今年は八十歳、つまり傘寿となるのである。この俳句、その驚きを面白く詠んでいてとても楽しい。季語の「唐辛子」が、ピリッと利いて珍しい佳句であった】

あれこれに一振りかけて唐辛子
灰の日の静もる街の句会かな
ビル街の裏道抜ける夏木立

   サンパウロ         金子 一路

出入(はい)りの激しくなりぬ夏燕
【子育ての為やって来て軒下に巣を造り、卵を産んで暖め子燕が誕生する。親鳥は餌を運び子育てをするが、やがて元の国へ帰る為に雛を立派に成長させねばならない。
 「出入りの激しくなりぬ」はそのためで、よく雨の中を忙しく飛び交わしている夏燕の姿を見る。「夏燕」のよい写生俳句であった】

孫達にプールの覆ひ除きけり
ベンテビー明るく鳴きて年新た
年寄りが若返って見ゆ半ズボン

   サンパウロ         橋  鏡子

大夕立地響き立てて彼方より
【私の仕事場の窓から見える遥か向こうの山は、あまり高くない連山で、大雨のやってきそうな時は、本当にむくむくと雷雲が立ち上がって恐ろしい形相となる。
 この句の通りの物凄さでやって来ると、アスファルトはすぐ大きな川になり渋滞で、何十台の車が雨の止むまで行き止まりとなる。
 立派な写生俳句である】

百日紅家系はやがて四代目
遠き日の従兄と摘みし桑の実を
水槽に沈む海月(くらげ)や赤提灯

   サンパウロ         平間 浩二

句会へと灼きつく今日の残暑かな
【「残暑」は夏の季語と間違い易いが、立秋以後の可なり暑く日焼けも秋に入ってからのほうが酷い、と言われるようなこの暑さが「残暑」である。
 毎月の句会は我が家であるが、メトロで降りて約七分くらい歩く道が、この句の残暑道である。飾り気のない佳句であった】

蜘蛛の囲に朝日煌く雫かな
そうめんに浅き紫茗荷の子
住み慣れてブラジルが好き天の川

   サンパウロ         間部よし乃

テレビにも画面いっぱいカルナバル
【カルナバルの時期は、NHKでもブラジルの賑やかな様子を写していたが、ブラジルでは一層賑やかな放送であった。
 「画面いっぱい」、とこの句の通りの賑やかさで表通りも〝何々グループ〟などと、何時間も踊り続けて楽しそうであった。正しくブラジルの風物詩である】

バス降りて野牡丹を背に写される
近道の路地に彩る秋桜
秋嵐花壇を乱し去りにけり

   ペレイラバレット      保田 渡南

争ひをさけて外寝に出て行きぬ
群牛のとどろき渡る露の橋
蜜の木の房重たげや森の秋
青嵐高圧線は鳴りやまず

   イツー           関山 玲子

初仕事女はやはり厨事
雲の間に一瞬まぶし西陽かな
晴れゆける大夕立を硝子越し
丈伸びて穂ばらみの草秋を待つ

   インダイアツーバ      若林 敦子

初秋やテラスの風に時忘れ
唐辛子なければ困る料理かな
【唐辛子がないと困る料理といえばまずキムチ。私は朝鮮生まれなので、唐辛子がないとさみしいので、この俳句に同感】

   スザノ           畠山てるえ

パモンニャのお八つにくもる眼鏡かな
今朝の秋お茶当番の和菓子買ふ
色鳥や花かと紛ふ木の枝に
カルナバル熱気に不景気寄せ付けづ

   サンパウロ         篠崎 路子

西日照り車道落書鮮やかに
初句会花鳥風月ブラジル編
成人式女人群像あでやかに
客迎ふ打ち水すませレストラン

   サンパウロ         須貝美代香

澄み切った空に流れて天の川
秋晴れや吾が心にも曇りなし
群れなして白々明けの鮭のぼる
初秋や何も拒まぬ空青し

   サンパウロ         建本 芳枝

茣蓙広げ星月夜見る子沢山
不況など何処吹く風とカルナバル
星月夜昔語りし父の背中(せな)
夕食は鯖の味噌煮と朝市へ

   サンパウロ         伊藤 智恵

太刀魚の銀粉使ひ偽真珠
餌ねだる屋根裏住みのぺリキット
鬼灯に口とがらせて遊びし日
青色と土の香のぼる花の道

   サンパウロ         鬼木 順子

夕焼に染められひらり秋の蝶
【とてもよいところを詠んでいますが「夕焼け」は夏の季語となっていますし、「秋の蝶」は「秋」の季語ですから、重ならないように気をつけて下さい。例えば、「夕空に染まりてひらり秋の蝶」と。参考になさって下さい】

雨雲の遠きにありて秋の空
灯ともりて賑やかなりし夜学かな
【この句はとても佳い俳句でした】

薄雲の懸る夜空に星少し
【この句も季語がありませんでした。今の季節の秋をとりいれて、『薄雲の懸る夜空に流れ星』とすれば、「星少し」に代わって秋の季語となります。よく考えてみましょう】