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我が妻のおもてなし=サンパウロ 平間浩二

 1973年1月、リオデジャネイロに彼女を呼び寄せた。その月に、ささやかではあったが、晴れて結婚式を挙げることが出来た。私が渡伯して2年目であり、本格的なブラジルの生活が始まった。
 私は家内に対し、40余年経った今でも忘れられない苦い経験を持っている、というより大変に申し訳なかったと思っている。その罪の償いと思って、この文章を書くことにした。これで積年の重荷から解放されると思っているのだが…。
 それはある年、技術移住したS氏夫婦を我が家の食事に招待した時のことであった。彼も私もまだ30代そこそこであり、アルコールも入り、いい気分に酔っぱらっていた。家内は、献身的に腕を振るい、いろいろな料理を作り、大変に美味しいと2人を感動させていた。
 そろそろ宴も終わろうとしている時に、家内は最後にお吸い物を出した。私はそれを飲んだ瞬間「これは薄い!」と言ってお勝手に行き、家内に何も言わずに勝手に味付けをしてしまった。家内はそのショックで部屋に入って泣き出し、お客さんの前には出てこなかった。
 実は10代の頃、私は日本料理の基本である昆布(利尻産)と鰹節を使っての出汁の取り方を、2年間厳しい修業を積んだ。出汁の取り方は身体に染み込むほど仕込まれたので自信があった。
 ところが、2人でビール(大瓶)を1ダース以上も飲み、大分酔っぱらって味の「濃淡」は既に分らなくなっていた。自信過剰とアルコールのせいもあり、その楽しむべき祝賀晩餐会を台無しにしてしまったのである。
 家内は、実兄の経営する店で働いており、近い将来調理師の国家試験を受験し、免許を取得しようとしている矢先にブラジルに来たのである。私より家内の方が、より一層料理の勉強をしていたのである。そこを頭越しに「味が薄い!」と言って、家内の調理技術の誇りを頭から傷付けてしまったのである。家内の心情を察して余りあった。
 それ以来40余年間、料理の善し悪しに口をはさむことは一度もなかった。しかし、家内がどういう訳か何時もと違う味付けをすることがあった。その殆どが麺類の時であり、一口食べてから「ごちそうさま」と言っただけで箸を置くことがあった。私の味に関しての吟味は、他の人の追随を許さないと自負している。
 そんな事があってから、麺類の汁を調理する時には、大分神経を使っていたようだ。その研究と努力の甲斐もあって、我が家に関しての全ての味付けは、ほぼ満点だと思っている。毎日の食事が美味しく、外食することは殆どない程である。
 昨年12月の初め頃、以前リオに住んでいた友人とばったり会い、我が家に招待した。旧交を温めるため、大いに食べ、飲んだ。この時も家内には十分に腕を振るってもらった。
 夕食が終ろうとしているころ、彼は2日後に日本に帰ると言った。そして、ブラジル食の中で『ハバーダ』が大好物で帰国する前に食べたいと言ったので、家内はすかさず、明日の午後『ハバーダ』を食べに来るようにと言った。私は一瞬、唖然としたが、家内に同調し、再度招待した。
 家内の料理技術はさることながら、度量の大きさにも感心した。彼は早速、翌日に我が家に来て、大きな皿で2皿をぺろりと平らげ、さらにその翌日には満面、満足げに帰国していった。彼は、そのうちに必ずブラジルに戻ってくると信じている。
 それから10日後に、リオグランデ・ド・スールから、家内の友人夫婦が、宿舎の関係で我が家に急遽泊まることになった。我が家は狭いので寝る場所がない、と困惑したが、雑魚寝してもらうので大丈夫だと言って、私の言に全く動じなかった。家内は一度言ったら後に絶対に引かない強情な性格であり、時々閉口することがある。
 その当日がやってきた。私にとっては全くの初対面であったが、会って挨拶を交わした瞬間インスピレーションが湧き、心配していたことが杞憂であったことに安堵した。その晩はビールを交わし、家内の料理に舌鼓しながら『百年の知己』のように胸襟を開いて談笑し、短いひと時であったが楽しい一夜を過ごすことが出来た。
 翌日は、他の所に寄ってから帰途に着いた。ご夫婦は、こちらに来た時には是非寄って下さいと、大変に喜んで帰られたのが印象的であった。
 そして、24日には、リオに住んでいる家内の友人が、45年振りにリオに来られた知り合いの方を連れて我が家にやってきた。そして、その翌日には、元JICAシニアボランティアの友人夫婦も来られ、盆と正月が一緒に来たような、大変にぎやかな楽しい3日間を過ごすことが出来た。狭い我が家であったが、このような年末を過ごしたのは初めてのことであった。
 家内は楽天家かつ社交的であり、人を招待して、もてなすのが大変に好きのようである。我が家に来られた人の殆どの方が、何か強い印象をもって帰られたのではないかと思っている。家内の献身的な歓待と料理のもてなしが、訪問された方々を心から満足させたようであった。家内には、心から感謝している。

 「年の瀬や先客万来感謝して    浩二」