老人ホーム「憩の園」の創立者、ドナ・マルガリーダ(渡辺トミ・マルガリーダ、1900―1996、鹿児島)の命日の翌日に当たる13日、没後20年を記念したミサが、サンパウロ市ジョンメンデス広場のサンゴンサーロ教会で執り行われた。同日にはドナ・マルガリーダの列聖申請を本格化させるため、委員会も発足。運動を進める奥原マリオ純さんは、「今日をきっかけに活動を盛り上げたい。時間、労力を惜しまず取り組みたい」と意欲を語った。
サンゴンサーロ教会では毎週日曜、午前8時から日本語で定例ミサが行なわれている。ドナ・マルガリーダの没後20年にあたる本年、命日に近い3月13日に追悼ミサが企画された。
憩の園役員や、同じく彼女が創立した聖母婦人会の関係者ら、約80人が出席。司祭らが遺影と前山隆著の書籍『ドナ・マルガリーダ』ポ語版と共に入場した。
山本イサオ司祭は「今日はドナ・マルガリーダの95年の人生を賛辞するための集りです。人を助ける姿勢、勇気、生き方を模範とし神に祈りを捧げましょう」と説いた。
戦中に敵性国民として拘置された日本移民の救済活動を始め、「憩の園」創立発展などに生涯を捧げた経歴がポ語で読み上げられ、賛美の言葉を持って祈りが捧げられた。
参列した聖母婦人会の安岡ローザ前会長(81、二世)は、「父(瀬尾竹右衛門)は憩の園創設の協力者だった関係で、私が子どものころ、彼女はカーザ・ヴェルデの家に良く来ていた」と過去を懐かしんだ。
この日を境に、聖人申請に向けた委員会も立ち上げた。今年1月、イマクラーダ・コンセイソン修道会のセリア・カドリン女史から「団体を立ち上げ運動を進めるように」と助言を得たことがきっかけ。ブラジルの聖人4人の内、2人は彼女によるものだ。
委員会は、元聖母婦人会長の畑中アリッセさんを代表に6人で始動。奥原さんは「ここまで来るのに2年かかった」と苦労を見せながら、「直接面識のある人物が多く健在であり、ドナが移住者であるという経歴が加味されれば可能性は高いはず」と強調した。
聖人として認められる列聖の前には、福者の地位を得られる「列福」がある。奥原さんは「列福までに2度、そのあと列聖に1度と、計3段階の審査がある。最低でも20年かかると見ている」と、大まかな見通しを語った。道のりは険しいが、聖人誕生に向け着実に一歩を踏み台した。
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没後20年を機に、ドナ・マルガリーダの列聖に向け委員会が発足したが、「最速20年」というので道のりは中々に険しそう。今年1月には江戸時代のキリシタン大名、高山右近(1552―1615)が聖人に次ぐ福者に認定された。日本人個人として初の列福で、1965年に運動が開始、09年に本格化したという例がある。認定は殉教者とそれ以外に分類され、右近は殉教者、ドナ・マルガリーダはそれ以外だ。殉教者以外の者には奇跡(超自然的現象)が必要とされるが、彼女の功績ほか、奇跡的な逸話を集めることも必要ということか。
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