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ニッケイ俳壇(881)=富重久子 選

   ボツポランガ        青木 駿浪

大景の唐辛子畑朱に燃えて
【「唐辛子」は夏花を咲かせ、秋に入ると先の尖った実になるが、はじめは緑色で次第に色づいて真紅色になる。
 作者の住む地では広い唐辛子畑が見られるのであろう。丁度今頃は熟れ時期で見事な朱色畑の一句。私の住んでいた北朝鮮では“キムチ“を漬けるので、この句の如く秋はそこら中朱色畑で見事であった。真に唐辛子畑の写生俳句である】

妻病みて九度目の秋の深さかな
【「妻病みて」の俳句、一読胸の詰る想いで一杯になった。「九度目の秋の深さかな」に作
者のその心労と共に、妻に対する愛情の深さに驚かされる思いである。五句ともども巻頭俳句として、心から推奨させて頂く】

銀漢や変り無き地に闇深し
秋晴れや杖まだ要らぬ卒寿かな
秋晴や窓に写経の弾む筆

   コチア           森川 玲子

虫の闇手すさびに折るめをと鶴
【「虫の闇」と言う季語、この大都に住み慣れてこの季語を使う環境にないことが残念であるが、作者は正しく秋の夜は「虫の闇」の真っ只中の暮らしであろう。
 それにしても、「手すさびに折るめをと鶴」とは、まことに見事な内容と言葉の選択で格調高い俳句である】

秋めきて醤油の良き香かやく飯
【「かやく飯」とは“五目飯”の呼び名で、魚介類や鶏肉と共に種々の野菜などを具として炊き込んだ醤油味のご飯を言う。田舎に居た頃よく炊いて子供達に喜ばれたが、最近は炊くこともなく、醤油のいい香りが昔の事を思い出させる懐かしい料理である。
 どの俳句にも、まことの作り事でない想いの溢れた佳句であった】

野菊咲き五人姉妹の二人欠け
天の川ちちははの顔見つけたり
縄跳びのまだ飛べない子秋の暮

   セザリオ・ランジェ     井上 人栄

移民等の交流汗の握手して
【旅をよくされる作者で、この度は北伯であった。何所に行っても日本人の先住民が居て、真に心強い。暑いところで自ずと汗ばんだ両手を差し出しての握手。どの句にも大らかな作者の気持ちの現れた、爽やかな佳句ぞろいである】

北伯の旅にと買ひし夏帽子
【北伯の旅に買ったという「夏帽子」、鍔広の涼やかな軽い帽子、その旅の楽しい作者の姿の偲ばれる、女性らしさのあらわれたいい俳句であった】

極暑とはこんな事かやカアチンガ
カアチンガ中に葡萄の畑あり

カアチンガ

『カアチンガ』とは、ブラジル北東部の半乾燥気候の地域に分布する有棘低木,サボテン,アガベ(リュウゼツラン)などが混在する植生やその地域のこと。

(写真:By AUGUSTO PESSOA (Own work) [CC BY-SA 3.0 (http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0)], via Wikimedia Commons)

   バルゼングランデ      飯田 正子

野趣あふるる木の実繋ぎの首飾り
【旅の途中でその地の青年から、木の実で作ったという首飾りを買ったのであろうか。木の実はよく乾燥して磨きをかけ、繋ぎ合せて造った物で何となく素朴で懐かしい。                
 この句にあるように色も形も自然で「野趣あふるる」もの。自然の物は捨てがたい趣があってその想いを詠みこなしていて、この作者らしい素直な佳句である】

原産はメキシコといふ隼人瓜
一人居て犬と語らふ日長かな
レストラン出目金もゐる金魚鉢

   アチバイア         宮原 育子

初秋や旅思ひ立つ地図ひろげ
【今年は何となく天候不順で、この頃やっと秋の気配がしてきた様に思う。そうこうしていると、ふと旅の話や旅の俳句など見ていて一週間くらい遠い所へ旅してみたいな、と地図を広げて夢を見たくなったのであろう。
 旅といっても日本へは一寸遠いし案外ブラジル国内でもまだまだ未知の地方が多い。昔なら一人旅も出来たが、今ではとてもそれは許されそうもない、とそんな事この句を読んで考えている読者である】

初秋や石鹸匂ふ朝シャワー
枝豆で賑はへるもの老女会
忽ちに牧覆ひ来る秋夕立

   サンカルロス        富岡 絹子

亡き友の後姿か夏帽子
【姉妹のようにしていた友を亡くして、まだ忘れられない作者である。友達が被っていた夏帽子のよく似た人が通ったのであろう。
 思わず駆け寄りたいような、そんな自分をこの句の中に詠みこんでいる作者である】

辿り着く汗の吹き出る停留所
バス遅れ木蔭に人のあふれをり
色派手に勇気を出して夏衣

   ソロカバ          前田 昌弘

秋澄める回転式の展望台
【「秋澄める」という透き通った言葉は、秋高し、とか秋麗、と同じく空気の澄んでいるために、遠くの山も近くの野原の形や色も、はきりとみえる事をいう言葉遣いである。
 この句のように、作者は回転式展望台で周りの美しい景色を心行くまで展望している佳句である】

秋燕や訪ふ人まれに鄙の里
賑やかであるほど寂し去ぬ燕
目の玉の大きさ目立つ糸蜻蛉

   カンポグランデ       秋枝つね子

ゴロ助を一つ落して夏の雨
残る蚊に攻められ通ししゃくの種
二世嫁とうもろこしの料理好き
新涼は名のみむしむし蒸し返る

   サンパウロ         山口まさを  

初荷着く活気のセアザ朝まだき
山ほどのちしゃ箱着きし初荷かな
婚礼の祝辞は長し火蛾狂ふ
火蛾の火に明日炊くフェジョン選ぶ妻

   サンパウロ         松井 明子

落し文拾ひ見せ合ふ仲の良さ
風薫るふと思ひ出す母の声
どの店もみんな花屋か風薫る
旅の船悲喜こもごもを乗せてゆく

   サンパウロ         畔柳 道子

羅や明るき柄の似合ふ人
久々に友を迎へて夏料理
蝉の声聞かずとなりし園に来て
緑蔭やベンチの人に声をかけ

   サンパウロ         彭鄭 美智

久し振り夫の好物よもぎ餅
東洋祭ビデオテープの発売も
カーニバル年々進歩し若返る
仕出し屋の弁当旨し新年会

   リベイロンピーレス     仲馬 淳一

地平線真っ黒となり入道雲
枝豆やつまべばピョンと口の中
入道雲湧けばたちまち大驟雨
女学生水兵服着て衣更え

   アチバイア         戸山 正子

店頭に山積みとなりパネトーネ
巣立ちしか羽一枚を巣に残し
赤と白向かひ合ひ咲くさるすべり
車にもミモザの落花張り付きて

   アチバイア         吉田  繁

秋風やピラミド積みし古代人
日本語の説明嬉し人の秋
秋の野や高原都市に河見えず
旅のバス日語の説明秋うらら

   アチバイア         池田 洋子

秋彼岸師は天国に着かれしか
爽やかな髪ねと友の褒めくれし
お茶席のすめば我が家へ草の花
【お茶席の一輪挿しに、道々手折っていって挿した野の花。お手前もすみ片付けてから、その草花の水気を切って持ち帰ったという一句。素朴な野の花こそ茶室の花、茶人のつつましき心がけの佳句であった】

久々の秋刀魚の煙目に沁みて

   アチバイア         沢近 愛子

風鈴の韓国製が気に入りて
渡り鳥見ることもなく老いにけり
胡蝶蘭ミニ咲きなれど健気なる
古帽子色合はねども炎天に

   アチバイア         菊池芙佐枝

秋暑しまた妹と買出しに
孫帰る店の枝豆早や見つけ
石榴手に目を輝かせ孫大学
孫囲み姑の笑顔や栗ごはん

   オルトランジャ       堀 百合子

サングラス掛けてお茶目で人気者
ままならぬ恋に身をやき夏痩せて
ジージーとわが世の夏と蝉時雨
抜け殻を残して鳴けり秋の蝉

   タウバテ          谷口 菊代

道の辺に夾竹桃の見事咲き
【つい最近俳句を始めた新人。「写生俳句から始めましょう」、と言う私の言葉通りに立派な写生俳句であった。タウバテからの道々に夾竹桃が桃色に満開で、その佳句である】

竹やぶに筍探し思ひ出す
田舎道鋏鳥だよもういない
新茶とて娘に貰ひ嬉しかり

   ピエダーデ         国井きぬえ

マルガリーダ思ひ出の花りんと咲き
 ※『マルガリーダ』は、ドナ・マルガリーダ(渡辺トミ・マルガリーダ、1900―1996、鹿児島)、旧姓は池上トミ。1900年に鹿児島県枕崎市のカツオ漁の網元の家の長女に生まれ、不漁で借財を抱えた家を助けるために、自ら親戚の構成家族の一員として13歳で第3回移民船「神奈川丸」で渡伯。戦中に敵性国民として拘置された日本移民の救済活動を始め、老人ホーム「憩の園」を創立。

ブラジルも良き景色あり高見宿
風薫留学かなへ孫娘
雨続く庭の大葉に根切虫

   ピエダーデ         高浜千鶴子

栗ご飯心祝ひや渡伯の日
【何年経っても、渡伯して移住地に入った日のことは忘れることが出来ない。それは全く未知の国へ、親戚も何もなくやって来たのだからである。「栗ご飯」というさりげない季語の中に来し方(こしかた)の辛く悲しい思い出も沢山あったはずである。同じ移民の私にもしみじみ心に沁みる一句であった】

雨続き大秋晴れの待ち遠し
ゆっくりと一人の食後柿を剥く
秋日和待ちわぶ農家今日も雨