県連「移民の故郷巡り」は、通常立ち寄ることのない地方の日系集団地を訪ねる機会を与えてくれる素晴らしい企画だ。今回の参加者の一人、元県連会長の松尾治さん(現文協副会長、77、福岡県)から「地方の文協や日系人との交流は、もっと文協自体がやらなきゃいけない。この故郷巡りは文協と県連が共同でやってもいい事業」との意見を聞いたが、その通りだ▼それだけでなく「若者版故郷巡り」をすぐにでも始めてほしい。県連が各県人会の青年部に呼びかけて「若者版」を作るのも良いが、文協青年部が主催して史料館が支援する形でもいい▼就職して忙しくなる前、大学時代などに移民史の〃故郷〃を巡って欲しい。ノロエステ沿線なら、昨年百周年を祝った平野植民地から今年百周年を迎えるリンス、加えてアリアンサ、チエテを回り、祖父や祖母が入植した場所の歴史を知ることで、日系としてのルーツ意識が強まる。来年百周年を迎えるアルバレス・マッシャードもぜひルートに入れてほしい。18年は移民110年であると同時に、上塚植民地(プロミッソン)の百周年でもある▼都会育ちの若者は移住地の生活を知らない。でも移民の9割は地方で農業に従事していた。終戦直後、廃土と化した日本に帰る場所はないと悟った時に、「子供にブラジルの教育を」と考え、都会に出た。だから多くの日系子孫の〃故郷〃は正しく地方の日系集団地だ▼移民110周年には、ぜひ皇族にサンパウロ州地方部まで足を延ばしていただきたいという要望が、ノロエステ連合や聖南西から挙がっている。地方日系団体がそのように目標をもって活動することは活性化につながる。それに、若者が先祖の苦労に触れることは、移民150年祭(2058年)を盛大に行うために重要だ。今18歳の若者が60歳になった時が150年祭だからだ▼通常、3月の故郷巡りはサンパウロ州やパラナ州の地方日系団体との交流が中心、9月は遠方や外国の観光地中心というパターンだった。だが今回は3月にも関わらず、日系の少ない北東伯だった。単身でブラジル社会へ切り込んでいった藤田十作のような勇敢な先駆者、メロン農業の先進地などを知ったことは確かに意義深い。でも〃ふるさと〃を実感する場所ではない。事実7日間のうち、現地日系団体の婦人部が用意してくれた食事は1回もなく、慰霊行事も2回だけ▼ノロエステ連合には傘下に30団体もあるが、故郷巡りが訪れたのは10団体程度。パラナ州には70団体があるが、20団体ぐらい。今回訪ねた集団地らしい場所は「ピウン移住地」だったが、現在も住むのは1家族のみ。それなら、今も一生懸命に運動会や敬老会、日本語学校の存続に奮闘しているサンパウロ州の地方団体はたくさんある。そこに交流に行って応援しても良いのではないか▼地方の日系団体との交流、先駆者の慰霊を中心に考えるなら、今回のように150人のツアーは多すぎる。受け入れ側の負担が大変だ。せいぜいバス2台以内に限定し、その分、年3回とか回数を増やしてもいいのでは。同じ場所でも10年経ったら役員は入れ替わっているから再訪する価値がある▼県連は旅行社に丸ごと放り投げるのではなく、役員がちゃんと行先を吟味してほしい。今後5年、10年先の日系社会の在り方を念頭に置きながら「故郷巡り」の主旨から離れないよう留意してもいいのでは。(深)