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県連故郷巡り(北東伯編)=歴史の玉手箱=第10回=「移住したおかげで命拾い」

一行の最長老の武田さん

一行の最長老の武田さん

 一行のうちで最長老、92歳でしゃきしゃきと歩き回る武田勝喜さん(熊本県)は、14歳の時に渡伯した。「一緒に住んでいた叔父さん(父の弟)が結婚し、『どうしても移住したい』っていうんです。それには『働き手が3人必要』との条件があったので、僕が入れば構成家族ができた。だから5年したら帰る、一儲けしたら帰るという話で来た。だから来たばかりの頃は日本に帰りたかった。親、兄弟が懐かしくてね。いくら想っても帰れない。そのうち戦争が始まって、それどころじゃなくなった。帰れないのは辛かった」と遠い戦前を振り返る。
 「ところが戦後、42歳の時にPL教会の関係でようやく訪日した。郷里の友人の家に挨拶にいったら、友人は二人とも戦死していた。友人のお母さんは『まあ、立派になって! ブラジルに行ったから命拾いしたんだね。うちの子は戦争にいって二人とも…』といって、僕に抱き着いて泣いたんですよ」。
 それから友人の母と共にお墓参りした。「そしたら、僕と同年代の友人の多くが、お墓に葬られていた。うちの村から戦争にいったものはほとんど全滅。友達はほとんど生き残っていなかった。村中がお爺さん、御婆さんばかり。それをみて、僕も涙が止まりませんでいた」と振りかえる。
 「だから今は、ブラジルに来てよかったと心底思いますよ。今までに7回日本にいった。来年もう一回行こうと思っている」とほほ笑んた。
 12日午後3時、一行は恒例の「ふるさと」を全員で合唱し、セアラ―州日伯文化協会から集まった地元日系人60人と別れを告げた。その時、マイクで「ふるさと」を歌って先導したのは、武田さんだ。あの元気さなら、再訪日はきっと可能だろう。
 田所マリオ第2副会長に聞くと、一行が日陰にしていたマンガ―の大樹3本は「藤田家がこのシッチオを50年前に買った時に植えたもの」と教えてくれた。藤田十作もこのマンガ―の樹の下で、人生を振り返り、敢えて生涯一度も帰らなかった「ふるさと」について想いをめぐらしたに違いない。
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画廊を経営する市田邦彦さん

画廊を経営する市田邦彦さん

 夜の食事時、たまたま同じテーブルに座った一行の市田邦彦さん(75、広島県)は、サンパウロ州とミナス州の州境ソコーロ在住で、町唯一の画廊「Galeria Ichida」(電話=19・3895・2322、)を経営しているという。
 県人会の呼び寄せで61年渡伯。最初のパトロンがソコーロに住んでいて、独立してもそのまま住み続けている。同地には日本人会も存在しないという。
 「2008年、移民百周年を記念して個人的にオープンしたんです。ただの趣味ですよ。具象画を中心に100点ほど所蔵しているうち、上永井正、ドゥリヴァル・ペレイラなど80点を展示しています」という。入場料は20レアル。
 「ぜひ見にきてください」と薦める市田さんの腕は、農業者らしく筋肉が張っている。人口4万人の地方都市で、趣味で画廊を経営するとは、いろいろな戦後移民がいるものだ。(つづく、深沢正雪記者)