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県連故郷巡り(北東伯編)=歴史の玉手箱=第20回=小5中退のトラウマをバネに

「レアル・フルッタ」

「レアル・フルッタ」

 大谷さんは「日本人は良い作物を作るが、販売が弱い。だから輸出は、信用できるブラジル人のパートナーに任せている」と力説した。それが「レアル・フルッタ」という日系人を中心とした生産者集団だ。他のメロン生産者集団とも協力して輸出量や価格相場を調整するなど、組合的な役割を果たしている。
 大谷さんの視線は、はるか先を見ている。「メロンは生活必需品ではない。もっと人類にとって必要な作物を生産することも考えている」と言い、「今のブラジルに住んでいることは幸運だと思う。日本人の良い資質を次の世代に渡さなければ。子供の世代を信じ、彼らにその夢を託し、次の農業をゴヤイス州で試したい」とほのめかした。これだけの農業をやっても、気持ちはまだ枯れていない。
 「僕は小学5年中退だったのが、すごくトラウマだった。その頃の同級生は皆日本で大学に入ったでしょ。そして僕らがブラジルに来た後、日本はどんどん良くなった。『自分の意思で来たんじゃない』と他人のせいにしがちだが、僕は逆に『日本で小学5年まで行けたことは有難い』と思うようにした。いつまでも『嫌々連れて来られた』と思っていたらダメ。『自分の人生なんだから自分で変えられる』と考え直した」。
 子供移民であることをテコにした、大谷さんの前向き志向は筋金入りだ。
 「サンパウロは知らないが、ここでは日本語が衰退するのは早い。ここまま血の流れが同化して、ブラジル人になるのはやるせない。どうして日本人がブラジルに来たのか、日本人の良い所を残したい。そんな気持ちで自分史を書いて、ポ語訳して家族に残そうと思っています」
 大谷さんは最後に、「甘いメロンがあることを知ってほしい」と語り、一行150人全員にメロンを一つずつお土産に持たせた。

多田さん夫妻

多田さん夫妻

 一行の多田邦治さん(70、徳島県)に感想を聞くと、「農業者というより企業家の視点が感じられ、話を聞いていて面白かった。蝶々があれだけたくさん飛んでいることから、農薬を極力使っていないことがよく分かった」という。1973年の最後の移民船「にっぽん丸」で渡伯した工業移民だ。
 妻康子さん(71、和歌山県)も「同じ船で300人ぐらい来て、10年後には100人しか残らなかった。今では20人ぐらいかも」と振りかえる。多田さんは「日本人的な良さを残すことにこだわり、それがうまくいった人が残ったのかな」と見ている。多田さんはコロニア最古の短歌誌「椰子樹」の編集を担当、日本語に対する強いこだわりを持ち、日本文化への造詣が深い。
 農業と短歌、大谷さんと多田さんには通底する考え方があるように感じた。実に興味深い視点だ。(つづく、深沢正雪記者)