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自伝小説=月のかけら=筑紫 橘郎=(1)

第1章    「若人海を渡る」     

 一九四五年八月十五日、天皇陛下の玉音放送、「耐え難きを耐え」「忍び難きを忍び」との鶴の一声をもって、大東亜戦争が終戦とあいなりました。その日こそ、真実、国民には春が来たと表現すべきかもしれない。この小説の主人公「千年太郎」(ちとせ・たろう)も、作者「筑紫橘郎」(ちくし・きつろう)も同年代であるから、この物語を書き置く事になった。
 この日、日本全国民は「敗戦」と言う侮辱には耐えつつも、戦争という堪え難い苦しみから解放された瞬間であり、大きな歴史の節目と成りました。この日の各家庭は、祖父母を始め母、子まででがホットした様子。安堵の色は隠せず、「来るべき時が来た」と皆がつぶやく姿が印象的で、千年太郎少年の心に強烈に焼き付き、残りました、誠に新時代の幕開です。
 そして平穏な日が続きました。学校は敗戦終結で休校となり、誰より喜んだのはガキ共の中でもこの小説のヒーロー「千年太郎少年」でありました。戦争は終わった。しかし、暮らし向きは逆に益々苦しく、食料が増える訳ではない。遠い山中に土地を借りて開墾した畑の手入れは一層必要でした。
 千年太郎はわずか十歳。彼の父親はその玉音放送を召集令状片手に、その日その時刻、福岡県の「地元久大本線」筑後吉井駅前の広場で聞き、出征して行きました。
 「産めよ増やせよ」の時代は終わったが、食料不足。政府の援助も資金もなく、片田舎では進駐連合軍が何をするか解からないとの噂が流れ、「女、子供は用心すべし」と注意報が流れる始末。流石のガキ共も「アメリカ進駐軍兵が来る」との知らせを受けて、イの一番に橋の下に逃げ込み、ブルブル震えながら小さくなっている。全く普段の悪ガキの姿は無かった。「クワバラ クワバラ」とつぶやく有様はまるで滑稽に見えた。太郎の父親は出征したが、中々帰っては来なかった。漸く十日くらい経った頃に、出兵時に着て行ったままの姿で帰って来た。(著者注=いまより七十年前のお話であり、現代人には想像付き難い点はご容赦願います)
 父親は家族を集めて言った。
「戦争は終わった。今後は駐留米軍が日本を占領下として支配する。どうなるか見当がつかないが、アメリカ人とて人間だ。負けた日本人は抵抗しては成らん。おい太郎、お前は特に用心せい。絶対石など投げちゃいかん。おとなしくしておりゃ、アメリカ人は連れちゃいかん。反抗するな、解かったか」
 太郎はめずらしく神妙であった。
 その日、母親は珍しくしみじみと言った。
「うちはよそ様より余裕はなか。その上、母ちゃんは身体が弱か。近い内にあんた達の弟か妹が出来る。近所の子供たちに負けちゃいかんよ。ねぇ、かぁちゃんの言うことを一生の頼みじゃけん、良―く聞いて呉れんネ。幸ちゃんとこは地主さんじゃけん、あそこと家は違う。ばってん、家の父ちゃん(おとっちゃん)は、そりゃー立派な人で、皆から、仏の喜いしゃんち呼ばれとる。だから人様を羨む事はなか。太郎ちゃんだって悪い子じゃなか。太郎ちゃんは何時も子供達の味方の大将じゃろうが。母ちゃんを助けてくれんネ。食べ物んは良かもんは余りなかばってん、あんた達にゃ、ひもじい思いは母ちゃんがさせんけんネ。赤子が出来たら母ちゃんは、うーんと(沢山)働くけんネ。母ちゃんの一生の頼みたい。太郎ちゃんは本当は心の優しい強い子じゃろうが。妹思いじゃけんネ」