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在りし日のペイショット(Paulo Pinto/Fotos Públicas)
在りし日のペイショット(Paulo Pinto/Fotos Públicas)

ブラジル音楽界の巨星墜つ=85歳のCペイショット=65周年記念ツアーの最中に

 「ブラジルで初めてロックを歌った人物」としても知られるブラジル音楽界の大御所カウビー・ペイショット(85)が、15日午後23時50分、肺炎のため、サンパウロ市南部イタイン・ビビのサンクタ・マジオレ病院で亡くなったと16日付各紙サイトが報じた。
 1931年2月10日にリオ州ニテロイ市の音楽一家の末っ子(6人兄弟)として生まれたペイショットは、ジャズやスイング、ロック、サンバ、MPBまでを幅広くこなし、ブラジル音楽界を代表する歌手の一人だ。
 1951年に「白いスカート」と題するアルバムを発表した時はまだ無名で、売れ行きも芳しくなかったが、翌年、兄弟の仲介で会った企業家のディ・ヴェラスの勧めでサンパウロ市に居を移した。
 55年に出したレコード「ブルー・ガルデニア」がヒットして米国との間を行き来し始めたペイショットは、「ブラジルのエルヴィス・プレスリー」と呼ばれ、58年に発表、ドリヴァル・カイーミの「マラカンガリャ」を英語で歌ったアルバム「I Go」は、米国で最も演奏された作品第5位に入った。
 ペイショットは今年、65年のキャリアを記念して、アンジェラ・マリアと共に「120年間の音楽」と題するツアーを組んで全国を回っていたが、5月3日にリオ市市立劇場で行われたショーの後、肺炎の症状を呈したため、エスピリトサント州でのショーをキャンセル。9日に入院したが、介護の甲斐もなく、帰らぬ人となった。
 アンジェラ・マリアとのツアーは、二人の足跡を記した「再会」と題するレコードを再現する形で行われており、21~22日開催のサンパウロ市の文化イベント「ヴィラーダ・クルツラル」にも参加する予定だった。
 コンセイソンやバスチドーレスといった曲で不動の地位を築き、シングル、アルバム合わせて140本以上の作品を発表したペイショットは、ブラジルで最も知られた歌手の一人だった。晩年は糖尿病等に苦しみ、2000年にはバイパス手術も受けたが、80を過ぎても現役として歌い続けた。
 「ペイショット死去」の報は瞬時に走り、マリア・リッタやダニエラ・メルクリ、ファファ・デ・ベレンといった音楽関係者や報道関係者らが次々にその業績を讃え、別れを惜しむメッセージを発表。16日朝9時からサンパウロ州議会で持たれた葬儀にも、関係者やファンが押しかけた。白いスーツに包まれた遺体は、同日夕方、コンゴーニャス墓地に埋葬された。