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自伝小説=月のかけら=筑紫 橘郎=(6)

 何の呼び出しか、太郎には解からない。怪訝そうな目つきでふさぎこんでいた。太平洋上の酒盛りの一件が祟って、なんとなく不安だった。
 あの酒盛り事件以後、皆の見る目が太郎には眩しく不愉快な日々を送るしか手はなかった。大西洋は太平洋とは打って変わっていた。なーる程、大西洋、静かにて、日本の真冬とは大変わり、中南米特異の上天候が続いていた。だが、気分までは快晴ではないようだ。
 さて笹山部長の元へと出向いた。最上階の部長室にボーイさんに案内された。ボーイさんが中にはいり、最敬礼である。太郎君も後ろで、これまた最敬礼、カチカチの緊張感であったのだ。
 中から数人の賑やかな声が聞こえた。そして、「どーぞ」と声を掛けられた。
「いやー、千年さん。ご機嫌いかがですかな。近頃、千年さんの賑やかな声がしないので気になっておりました」
 この言葉、どこかで聞き覚えのあるような―
「そぅだ」と気付いた。その途端、彼の本性が目覚めた。部長殿に一礼して、会話中の一人に何気ない笑顔で会釈した。
 その一人こそ、船内で初めて友達になった桜井金夫さんだった。
「マアー、そこに掛けてくれたまえ。実は赤道祭りについて、笹山部長さんから相談があり、出演者を選考しとるとたい。そしたら、部長さんが太平洋のど真ん中で刺身パーティーをやらかした、あの男はどうですか、と言われたもんで膝を叩いて決まった。アンさんを呼びにやったのよ。そう言う事で、千年しゃん(ちとシャン)あんたも一肌脱いで、くれんしゃい」
 そうと北海道弁で来た。
「まあー、そりゃー良かばってん。大体何をすりぁーいいですか」
「あのね、千年君。実は赤道祭りが近ずき、何とか役者を決めん事にゃ話にならんもんで。船内で君の噂を聞いて、ぜひ参加願いたいと、桜井さんに頼んだところです」
「そぅーですか。桜井さん、私の役は何ですか」
「あんたには『海の大王様の使者』侍従長。この船に大王の航海安全を許す使者だよ」と桜井さん。
「おいおい、桜井さん。そりゃあー、ちょつと荷が重すぎですよ。他にまだ居られるでしょう」
「イヤ、どうせ素人ばかりじゃけん、構わんよ。よーし、決まった。部長さん、皆役者揃いですから大丈夫ですよ」と桜井さん。勝手に有無を言わさず強引に決めてしまった。
 皆勝手に拍手してその場は決定、流石の太郎君もあっ気にとられて致し方無し。
「やればいいんでしょう」と開き直った。こうなると、千年の性分で決断は早い。その日の内に練習を始める。どうせ目的地ブラジルまでは毎日お暇ですから。装束(衣装)は乗組員が一度の航海に一度しか使わないものだから、大きな木箱に大事に仕舞っていたらしく皺一つない。
 どう言う風に練習していたかはさておき、赤道祭りの当日が来た。どうせ手もち無沙汰で暇を持て余している連中ばかり。お客さんと乗組員合計千七百人余りが最上甲板の中央の即席舞台の周りに所狭しと詰めかけた。押すな押すなの大盛況。
 こうなると、いやが上にも盛り上がるから「あら不思議」。素人の大根役者まで興奮気味にやってやろうじゃないのと「スター気取り」。乗り組み員の拍子木が鳴った。
 今までのざわめきがシーンとなった。そこへ海の大王さま代理(千年)が侍従を従え、厳かに登場。大拍手が巻き起こった。いよいよ侍従長から、平伏する笹山部長(船長代理)に航海安全許可証書が渡されるクライマックスの山場である。
 千年太郎扮する侍従長役、扇子を高らかに広げ、「これにて一件落着」とアゴ髭を撫でおろす。「侍従長さま、御帰りーっ!」との御触れ。