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自伝小説=月のかけら=筑紫 橘郎=(12)

 感慨深い、第一歩をまさにふみ出したのだ。ブラジルの原始林の真っただ中の、素朴な住まい。飾り気ない寝室だが、彼らが夢に向かって突進する居城なのであった。
 ここが千年太郎、野口節男、二青年の雇い主(パトロン)、岩下与一氏宅である。
 一九五七年頃、ブラジル政府は旧日本移民の素晴らしい業績と実直な働きに対して理解をしめし、戦後移民受け入れに寛大な態度だった。実直一路な大和民族の働きを高く評価し、絶大な理解を示した。その結果、旧移民の高齢化を補う(おぎなう)意味で、コチア産組の次代を担う勤勉の導入と、さらに当時の日本国民の救済を兼ねて、日本人若人を敢えて受け入れたのだと聞いていた。
 それが「コチア青年移民導入」であり、千年太郎物語「月のかけら」小説の背景である。
 ここまで述べた様に、千年家は戦前戦後を通じて先祖代々、思想的には明朗闊達にして、悲哀には至って頓着せず、祝着至極にして、常に前方志向を好んだ。取りも直さず、我慾はできるだけ慎み、常に平和的行動に努め、「人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」の明言を好んで、実践しようとした。その態度を、先祖代々子々孫々に受け継ぐ事を常とした。
 そのあり方を一言でいえば、「月のかけら」であろう。千年家の人生訓は、対人関係では「有言実行、質素倹約」を旨とし、強いて人の面前に立つのを好まず、「ひっそりと世を照らす」お月さま的存在であることを信条とした。
 周囲にこわれて助言者となり、幸運な人生を送れた部分もある。だが、裏表なくテキパキとした助言をするがゆえに、時にそれを嫌がるものがいるのも必然である。だから、不愉快な思いをすることも多く、それは太郎の宿命的なマイナス面となった。
 岩下家到着当日は、家族と岩下氏懇意の者数名、それに親戚筋の従弟で、岩下農場の支配人、同地内に住んでいる同性の岩下完二さん家族と、かなりの人数で賑やかな歓迎会になった。
 この一帯の農家には電気はなく、全て石油ランプを使っているが、けっこう明るい。不自由はなさそうである。この一帯は未だ原始林であるから、猛獣のオンサ(豹)が人家の周りに出没する事があり、油断は出来ない。用心のため、大型犬を飼ってはいるが、念のため夜はランプの明かりは消さないようにと注意された。
 当日の歓迎会は、岩下家及び従弟の家族全員の手料理のようであった。それにしても中々見事な料理である。岩下氏の奥さんが、従弟の完二さんの娘達が手伝ってくれたと言っていた。
 飲み物はレモナーダ(レモンジュース)と地酒ピンガである。パトロンの岩下氏は余り飲めないようだが、従弟の完二さんはかなり強いようで、先程からかなり調子を上げていた。
 新来青年二人は、日本から持って来た「日本酒」「日本茶」「昆布」「せんべい」等などを土産に差し上げて喜ばれていた。
 千年、野口の二人は、娘さん相手に「グイグイ」遣っている。勢い会話も弾む。皆さん日本の話に興味深々、敗戦日本のその後が気になるらしい。太郎と節男の話に身を乗り出して聞き入る。二、三時間では終わりそうもない。
 料理は最初から、五キログラムはありそうな、大きなかたまりの焼き肉。これが名物(シュラスコ)。手を出し兼ねていると、娘さん達が薄く切ってくれた。ブラジル名物、流石に美味かった。こんなにおいしいもの初めて食べた。ブラジルに来て本当に幸せ感を味わった「井の中の蛙」、田舎育ちの新来青年であった。