サンパウロ 水野 昌之
亡国の汚職と不正にまみれたるジウマの政権崖っぷちに立つ
土壇場なお強気の女大統領連立与党の三下り半受く
大統領の休職議決の一瞬を国民待てり真夜中過ぎても
贈収賄のすさまじかりし政界にとどめ刺すかに検察動く
収賄で騒がれ果ては逮捕され道連れ増やす司法取引
「評」時事詠、国とは民、その代辯者達の長たる大統領が辯護士を立てて己の利益を主張する。検察との袖の下での取引きが休職中にも行われるかも知れないと。
サンパウロ 相部 聖花
周囲のみ縁(ふち)どり黄ばみしいちょうの葉自然の色どり妙なるを観る
鉢植えのみごとな黄菊生産者日系の名を包装に見る
一人住まい文机(ふづくえ)兼用食卓に新聞ひろげて朝のコーヒー
母の日にコーヒーと菓子サービスの列に並びて豊かさを謝す
選者ありて歌壇成り立ち拙くも歌詠む心湧き出ずる幸
「評」自然界の些細な動きをも捉へる視線は自ずと生活環境の切りとりも純化されて行く、そこに共感する。
グヮルーリョス 長井エミ子
天延びて花木のゆらぎ笑むごとし遅きを詫びて水晶の秋
遠目にも黄(きい)なる花の咲き溢る住める異国(とつくに)はなやぎの季節(こう)
時々はとがる私をもてあますやすかりし日よ吾をくるめる
つつがなく母の日去(い)ぬる夕まぐれ吾子駆くるごと花束持ちて
現役に幕を降ろせば何せむか一番飛行機のごう音過ぐる
「評」言葉の組合せから、鋭い詩的感覚を持ち合わせている作者。一首、三首、四首特に引かれる。『くるめらん』『降ろすれば』再考されたい。
カンベ 湯山 洋
裏庭の芝生の隅を耕して味噌汁用の葱を植えたり
数本の葱を育てる庭の隅これでも人は葱畑と言う
裏庭の小さな小さな葱畑吾に残った最後の畑(子供達の遺した)
久々に少しだけれど鍬持てば頭の上に青空が在る
新鮮な葱の香漂ううどん汁寒き夕の小さき御馳走
秋空に赤々光る柿なれど落とす病葉複雑な色
子供らに元気装う吾も亦季節変りに痛む足腰
健康の為と早起き散歩するこんな事さえ毎日続かず
鍬の柄にカビを吹かせる情け無さ吠える事なき庭の老犬
酒も止め畑仕事も遠退いて我人生も秋の黄昏
「評」澄んだ心境の作家、純粋な生活態度から生れる写実詠。
グヮルーリョス 長井エミ子
地球より姿消したる物も売るフェイラのバンカ町を食み出す
公園に設置されたるゴミ箱のゴミ満杯や夏居座りて
クロールで海を泳ぎし日もありきプリマベイラの花ただ紅(あか)く
二人して撮りし写真の幾枚も見せたき人の亡き晩夏光
息子言う終(しま)いにしたら商いをでもネ何だかボケルの怖い
「評」主観語を抑え、単純化しても氏の感覚は充分に読みとれる。でも時々面倒臭がって現代の風潮臭いのを混入することもあるが、息抜きには良いのかも。
サンパウロ 坂上美代栄
橋の下ホームレスには恵みの場うまく囲いて寝泊まり煮炊き
ホームレス中には好む人もいて惰性身につき住めば都や
恵まれし服も毛布も使い捨て残飯あてに飢えも無きかに
軒下に屯する人、この雨をいずくに追うや気にはかかれど
包帯し怪我の犬乗す乳母車ホームレスらは穏やかに見ゆ
「評」無欲になれば、この国ほど住み良い処はないと言っている。この両を何処に追い拂うかとの表現や、五首目の捉え方もまた面白い。
サンパウロ 武田 知子
液体の赤き宝石カンパリーソーダーで割りて機内食まえ
食細くコースの食事そこそこに夜中の夕食機内ゆれつつ
春の香の取どり満ちし食膳に日本眞近に早や機内にて
雲海に陽の射し込みて眩しかり機窓を少し上げて覗きし
薄暗くリクライニングシートにてごう音の中旅をいやせり
「評」機内食は、取りきめられ様に運ばれて来る。そして日本は真近と言うのに、印象が深い食膳が懇ろに出るのである。各航空会社のビジネスを見なれた作者が、四、五首に感じられる。
バウルー 小坂 正光
敷島の民のこころを宣長は朝日に匂ふ山桜と詠む
富士ヶ巓と朝日にかがよう八重桜大和の民の魂(こころ)なるかな
此の年のサクラ満開南より本州登りて北国目差す
訪れしリオデジャネイロの祭典に各国選手意気壮(さかん)なり
近づきしリオデジャネイロの五輪の開催に吾等日系にも関心高まる
「評」本居宣長が出てくるのであれば富士巓と来るが、富士が根と万葉仮名と思ったり、今失念した。桜前線の北上をNHKで放映されての作品。愈五輪開催吾等日系の血も意気壮盛。
カンベ 湯山 洋
母の日や母見送りて早四年涙のお別れこの前なのに
戦後期や移住初期の困難を耐え頑張って九十七まで
放鶏の卵集める母と孫あの元気さが昨日のように
慎ましき母を母の日祝すれば勿体ないと涙した母
今日も咲く母の残したすみれ鉢可憐な花に母が重なる
「評」五首の中で四首目を筆者流に書き替えて見る。御参考まで。『母の日を祝いてやれば険しくも勿体ないと涙せし母』。俳句もなさっている様子が、一首目や五首に見られる。
東京都 伊集院洋介
オリンピック地球すべてがふるさとと四年に一度あらためて知る
オリンピッククーベルタンも御空よりやさしい眼(まなこ)で見守っている
オリンピック人類という木の葉っぱわれわれはみなつながっている
この地球すべてが君のふるさととオリンピックの聖火見守る
ブラジルにオリンピックの聖火燃ゆきれいなからだフェアーなプレー
月桂冠われにも呉れよ聞こえぬか声をかぎりの日の丸の旗
「評」澄み切った作品、混沌としたこの国に向って日本から声をかぎりに叫んでいる。クーベルタンよ、天降ってお灸を据えてくれないか。
サンパウロ 若杉 好
玉葱と豚とを妻の皿にとりグワラナ注ぐなり支那食の卓
久々に妻と歩けばパステスの立喰い楽しビールもうまし
曇天の風に竹薮は泣いている四月にして早や冬の来たるや
遠き山のかすむは霧か曇天の冷たき風に竹やぶの泣く
雨雲は黒くたちこめかわきたる土地を覆いて風は動かず
カッポン・ボニート 亀井 信希
禁煙を口癖に言えど止められず日に一箱で足らぬ夫は
無邪気なる吾子の寝顔を眺めつつ故里の父母を思いていたり
凄まじき夕立の後の畑見舞う夫とうしろに子等もしたがい
なつかしき故郷よりの小包をしかと抱きしめ筆不精詫ぶ
鍾乳洞より流れ出るこの真清水に浸りて暫し暑さ忘るる
カッポン・ボニート 亀井 勇壮
吾も又斯くありしかと眺めおり幼きが飯をこぼしつつ食ぶ
病める子を看る思いに暫し佇つ旱の畑に稻光る中
移り来て八年はいつか夢と過ぎ変らぬ海を子等と眺むる
母の手紙故郷は収穫季節なり老いも若きも日夜励むと
一年の学業を終えて帰る娘にいそいそ妻はコジニアに立つ
サンパウロ 上妻 泰子
同じ海渡りて来たる人なれば夜更けておれど又語りつぐ
母我の肩たたかむと背に廻る小さきこぶしに力こもれり
飽く程に乗りつぎて来し車窓より湖の見え来て上る歓声
子も我もたじろきておりぬしばらくはまばゆきばかりの水着姿に
久々に海らしきもの見て立てば想い連なる故里の海(湖を見て)
サンパウロ 上妻 博彦
ユーカリの繁る青葉を吹き上げてこの辻道に風通る見ゆ
アバカテの大樹の蔭の古井戸の光かそけん朽葉が匂う
北寄りの暖かき風に吹きかわるこのたまゆらを樹々の騒立つ
裸灯は赤くともれり冷ゆる夜を肩寄せ合いて二人の娼婦
夜をこめて降り継ぐ雨は淋しけれど百姓我の心は足りつ
※以上五名、四十五年前の作品だが、何にか清すがしい、汗と筋肉で生きていた声が聞こえる様だ。