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自伝小説=月のかけら=筑紫 橘郎=(16)

 そして1960年、いよいよ独立の機運到来では有ったが、行方家の家庭事情、経済事情で、青年達にまで支援援助は至難である。よって「それぞれのプラン計画、望みによって、身の進路を考えてもらいたい」と行方正次郎氏ご本人から説明があり、真心籠もったお話に、今の自分の立場では、パトロンとは言えども甘えすぎと決心、この際じっくり考えようと流浪の旅に出る事とした。
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 さてさて、突飛ですが、ここで話題をブラガンサ・パウリスタの行方家を勤めあげた千年君の望みに向かって進む、第一歩に移ります。
 日本に住んでいた頃、祖父母、父母の遠い遠い親戚筋にあたる井出利葉さんなる人がいた。この人は大正時代に既にブラジルに渡り、移住されていた事を、父母より聞いていたので、先ず一度お会いする事とした。
 世の中には誰でも古里がある様に、千年君は西日本福岡県が生まれ故郷で、所謂(いわゆる黒田武士)の里、福岡県(NHK大河ドラマ「黒田官兵衛」)の領地。
 日本人ならすぐに「ハハンと来る」が、筑前博多ではない。福岡県の南部、筑後平野久留米藩の浮羽郡(うきはぐん)千年村(ちとせむら)生まれである。だから姓名は千年、名は太郎。
 取り分け「ばってん」は九州地方の代表的方言で知らぬ人なし。
(娘)「あたしゃ、おとつちゃんに(父に)、若かかった時分、ブラジルに連れられて来たけん。日本語は標準語しか話せんとですたい」ときた。さらに(娘)「あんたも福岡んモンごたるね」。
太郎「は、はい、そげんですたい」
つい娘さんにつられて返事をしていた。(ここの娘さん筑後の方言丸出し)
(太郎)「やっぱり福岡の人でしたか。さっきからの言葉使いで解かっていりました」 
(娘)「ああ、そうーね。生まれた時から、おとっちゃんや、おっかしゃん(父母)が、にしゃあ(お前は)標準語がうまかたい(上手)と、ゆう(言う)ちょりました」
 流石に太郎も福岡の田舎育ちだが、これには度肝を抜かれた(娘さんは福岡の方言を標準語と思っているらしい)。
 あの頃、太郎は戦後移民で来たばかりだが、蒸気機関車でノロエステ線を行き、着いた所はマット・グロッソ州の小さな町「トレス・ラゴア」でした。「これはとんでもない所に来てしまった」と一瞬、太郎は思った。もう夕方の五時ころであった。どうやらこの家の娘さんらしいが、他に人の気配がない。こりぁーいかん、町までかなりの道のりがありそうだから、明るいうちに宿を取っておかねばと気付いた。太郎の目的は、この家の主人「井出利葉政吉」さんを訪ねて来たのだ。
 その頃、ブラジル奥地の農家には、電気も電話もない。日暮れ頃にはバスもない。あわてて腰を上げた。隙間だらけの板壁にカヤ葺き屋根床は土を固めて、ならしたままの、いたって簡素に出来ている。
 だが、このあたりでは「平均的な住まいで可笑しくも恥ずかしくも」らしい。娘さんに大きな声で「また明日の朝方、早く来ます」と声をかけて表に出た。ほんの四、五分歩き、帰りかけた時、馬車一台が通りすぎた。荷台にほっかぶりした大きな麦藁帽子をかぶつた日本人らしい顔がチラリと見え、ピンと来た。
 大きな声で「いでりはさん」と叫んだ。馬車が「すとん」と止まった。
 太郎は馬車に駆け寄った。年老いた二人は、たずなをたぐりよせながら、怪訝(けげん)そうに見つめている。