カルナバルが終り、その週の日曜日(2月14日)に2人でイグァスの滝を見に行くことにした。私は一度会社の旅行で行っているが、家内と一緒に行くのは今回が初めてである。旅行社は『CVC』で、全国的なネットワークを持つ格安の有名大手旅行社である。
「カルナバル済て2人の旅路かな」
集合場所はフォス・ド・イグァス空港で、ガイドが待機していた。旅行客はリオ、ミナス、サンパウロ各地域からの46人のグループで、その中に数人の日系人もいた。
ホテルに行く前にまず、アルゼンチンのショッピング・モールへ行った。入り口でバッグなどの持ち物を特別の袋に入れ特殊な鍵を掛けられる。それより大きな持ち物は、ロッカーに入れ鍵を掛けてから買い物をする。これらは盗難防止のためである。広大な店内には、店員はあまり見られなかった。全ての品には15%の割引の札が下がっていて、日本の資生堂の化粧品も展示されていた。
そこを出てから宿泊する『MIRANTEホテル』に到着した。創業は大分古いようだ。周囲には近代的ホテルが林立している。昼食はホテルの隣にあるシュラスカリアで済ませた。それ程食べたつもりはなかったが、夕食は取らずに済んだ。その晩は希望者がアルゼンチンのカジノに行くことになっていたが、夜遅くなるので私たち2人は行くのを止めた。
○2日目
今日は、イグァスーの滝観光である。8時にホテルを出発、途中でカッパを買った。最初にパルケ・ナショナルの入場券を買ってから、2人してマカコサファリコース行きを申し込んだ(どんなコースなのか全く分らなかった)。
同じグループの人は誰もいなかった。他の幾つかのグループと合流し、その中に外国人も数人いた。トラクター付きトレンジーニョに14・5人と少なかった。ガイドの女性は、ポルトガル語と英語で説明していた。ここからゆっくりと坂道を下り、道中は1台やっと通れる程で、ところどころに、すれ違うために複線の場所があった。
両側は、再生林と思われる樹木が鬱蒼と茂っている。排気ガスの充満している都会に住んでいる私たちにとっては、生命のオアシスともいうべき緑陰の中を走っている。最高の気分であり、本当に身体の隅々まで洗われる思いであった。
「鬱蒼と再生林の樹海かな」
暫く走ってから車を降り、小道の急な坂道をさらに下った。もう終わりかと思った頃、何と今度は大小の石がゴロゴロとした急峻な険しい坂になっていた。ここで転倒したら何処までも転がって行くかのような極めて危険な難所である。全神経を集中して下り、必死の思いで辿り着いた。
その前方上に、一筋の滝があった。みんなが滝に打たれて歓声を挙げていた。安堵感と達成感で沸々と感動が込み上げてきた。と同時にこの何の変哲もない一条の滝が何故か愛しく思えた。
「辿り着き眼に入る滝の白きかな」
落ち着いてから、集まっている人達の顔を良く見ると、何と皆20代から30代の男女ばかりであった。何故このような急峻な険しい坂に遭ったのか得心した。私は75歳、しかも、左足の脚力は右足に比べ大分弱い。毎日のリハビリとラジオ体操、それにジョギングで鍛えているので、何とかここまで来ることが出来た。
我ながら、ここまでへばらず転倒せずにやって来たものだと、胸をなでおろした。家内も、もうすぐに70歳になろうとしているが、良くまあ~ここまで若い人達に付いて来たものかと感心した。
ここで休憩してから今来た道に戻り、またトレンジーニョに乗ってバルカへ行く。ここで殆どの男性達は靴を脱ぎ、上半身裸になり、半ズボン一つになった。私も習って靴とシャツをロッカーに入れ半ズボンになり、カッパを着て救命具を付けた。
家内は、靴を脱いだだけでシャツと長ズボンの上にカッパを着て救命用具を付け、完全防備してモーターボートに乗り込んだ。滝から落る膨大な量の水が濁流となって岩にぶつかり、しぶきを上げている。ボートは勢いよく遡(のぼ)り出した。
「濁流を遡るボートの猛々し」 続く