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自伝小説=月のかけら=筑紫 橘郎=(17)

 太郎は「おじさんたち、井出利葉さんですか」と尋ねた。
「そうじゃが何か」
「ああ、良かった。僕はおじさんを探して、サンパウロから来ました。
井出利葉さんは「ふうーん、こんな所に用のあるようなもんにゃ見えんが。家はそこじゃけん、一寸来なんせ」。そう言って、馬の手綱を緩めた。馬車は自分のうちへと歩き出した。
 太郎は小走りで後ろをついて行った。かなり年老いた二人が馬車から下りて、バタバタと埃りを叩きながら、「まあー、汚いところじゃが、家に入ってくれんの」と誘い入れてくれた。
 娘はちょこんと頭を下げて、ニッコリ無言で母親と裏の方に出て行った。井出利葉さんは土間の大きなテーブル(これは手作りらしい板を並べただけの頑丈そうなもの)
「私は、貴方の同郷の者で、実家とは遠縁にあたるとか、私のおじいちゃんが言っておりました。しかし本当にここは遠かった。でも御元気そうで何よりでした。あ、私は千年太郎(ちとせたろう)と言います」
井出利葉「ああ、ちとしゃんの孫か。解かった、解かった。あの三太夫さんの孫ですか。まあぁ、こげんかとこまで、良く来てくれはった。日本のモン(人)は、どーな、皆んな元気ですかの」。
太郎「父や母に私の兄弟、妹八人は、皆な元気です。ですが、おじいちゃん、おばあちゃんはもう年ですから、元気のようでも、果たして、今一度会えるかどうか。私が日本を出る日まで『わし等が死ぬまでは、どこにもゆかんでくれ』と泣き付かれました。ですが、果たして、生きている内に、また会えるかどうか解かりまっせん」(注=事実、太郎君はその後、祖父母に再会は叶わず)。
井出利葉「ところであんたは、なにをしちょん、なさるかの(何をなさって居りましたか)」
太郎「私は四年ほど前、ブラジルに着いて最初にサンパウロ市から百キロメートルくらい離れたピエダーデ郡の岩下与一さんのトマテ(トマト)農家に配耕になりました。四年間は「契約農業」をする事になっておりますから、それはそれは素晴らしいパトロン(主人)に恵まれて、一攫千金を夢見て、獅子奮迅(ししふんじん)の思いで働き始めました。ところがあの海岸山脈の雨季は一、二月で、月に二十四、五日くらい雨と霧雨(ガロウーワ)で、ほとんど陽の目の見えない日が続き、ずぶ濡れでトマト消毒が体に合わず「でき物」が体中に三十個くらい噴き出しました。医者から『ここはお前には土地が合わない。土地を変わったらすぐ治る』と言われ、やむを得ずブラガンサ・パウリスタの行方正次郎さん方にお世話になる事になりました。契約農年を無事務めあげ、これからどしようかと考えていた矢先、ノロエステ線のミランドーポリス市郊外に「サンパウロ産業組合中央会」が奥地農業の拠点として農事試験場を新設するが、取りあえずそこで働く事となりました。その様な経緯で組合に勤務する前に、念願の井出利葉さんにお会い出来て、さぞかし日本の父や祖父母も喜ぶことでしょう」
 と、話に霧中の内に出されたピンガ(地酒)で舌がよく滑り、そのまま時間の経つのも忘れ、夜中まで喋りまくり、朝九時頃、板壁のこぼれ日で目が覚めた。感激の心地よい一と夜を明した。
 目覚めて誰もいないのに気付き、外に出てみたら裏の大きな木の下で、にこやかな顔で娘さんがタオル片手に井戸端に案内してくれた。
 歯を磨き、顔を洗って振り向くと、娘さんの眼差しが眩しく見えた。ふと気付くと大きなマラクジャの木の下に、これまた大きな丸太のテーブルがあって井出利葉さん夫妻が手招きしている。