ホーム | コラム | 樹海 | 「イータリー」の日本食版はできないものか

「イータリー」の日本食版はできないものか

詰め物入りパスタ、ラヴィオリを作る職人の手作業を、へばりつくように見入る子供

詰め物入りパスタ、ラヴィオリを作る職人の手作業を、へばりつくように見入る子供

 「これの日本食版ができないものか」―昨年5月にサンパウロ市南部にオープンしたイタリア食物産センター「イータリー(Eataly)」(Av. Pres. Juscelino Kubitschek, 1489)を見た時、まっさきにそう思った。最高級繁華街にある3階建て(4500平米)の全てがが、イタリア食材とレストランで埋められている▼特徴としては、あちこちに実演コーナーがあって、目の前で食材を完成させる様子が見られることだ。例えば目の前で詰め物入りチーズやパスタを作ったりと、子供が目を皿のようにして職人の手仕事を凝視している姿がほほえましい。生ビール製造コーナーまである▼イタリア・レストランもピザやスパゲティ、肉料理など専門店が7つもあり、オープンカウンター方式で料理している様子が見えるのが特徴だ。日本食店ではカウンター席は当たり前だが、ブラジルのレストランは欧米と同じく、客に厨房を積極的には見せないのが一般的だ。でもここは違う▼食材販売部門では、他では見ないイタリア直来の輸入食材1317品を含めて7千商品がずらりとならぶ。商品の価格帯が富裕層向けなので、一般庶民には向かない。22部門に分かれ、ブラジル内の400社が卸している。多くはイタリア系子孫の会社だろう。開店時のフォーリャ紙15年5月13日付によれば、従業員は520人、投資金額は4千万レアルだ▼いわばイタリア食に関する「食べる」「見せる」「選べる」を徹底的に集めた「イタリア食のディズニーランド」だ▼玄関を入ると「ブラジルはイタリアだ」「ありがとう、サンパウロ」と大書され、イタリア移民の歴史を説明する巨大なパネルが飾られている。どこの州から何人が移住したかを示す図や当時の写真と共に、その当時ベネト県で流行った「アメリカ(大陸)へ行こう」という移民の歌の詞も▼さらに「1880年から1930年までに、ブラジルは200万人ものイタリア移民を受け入れ、兄弟のように扱った。ブラジル人とイタリア人は一緒に、素晴らしいことをやってきた。だからこのイータリーは、一世、二世、三世のイタリア系ブラジル人の皆さんと、受け入れることの価値を教えてくれたブラジル人に捧げる」とポ語とイタリア語で書かれている。これを見て、大半の日系人は「うらやましい」と思うだろう▼CARAS誌サイトの食ブログによれば、イータリーは2004年に企画が立ち上がり、3年間の調査を経て07年にイタリア第2の工業都市トリノに1号店が作られた。19社の高品質な食品製造企業と提携を結び、この企業群が全商品の25%を供給し、残り75%は2千の生産者から集めるのだという。全世界に31店、うちイタリアに15店、日本に9店、米国に2店、ドゥバイに1店、イスタンブール1店、ソウル1店、サンパウロ市1店、ミュンヘン1店もある。世界全体で4千人を雇用し、年商4億ユーロとか▼現段階ではジャパンハウスがどんなものになるか、まったく分からない。だが将来的に民間主導に引き渡して継続させるなら「日本食版のイータリー」にすれば、独立採算が可能な施設になるだろう。かつて「ヤオハン」が進出したことがあったが、残念ながら撤退した。すでに「すき家」などの外食産業が上陸し、店数を増やしている。次は物販ではないか▼日本食を世界に広める使命感、高い志を持った企業が現れないだろうか。そしてイータリーのように移民とブラジルを顕彰するパネルを入り口に飾れば、日系人も感謝して利用するに違いない。(深)