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2008年2月、100歳のときにリオのカーニバルでのデルシー(Elza Fiúza/Agência Brasi)
2008年2月、100歳のときにリオのカーニバルでのデルシー(Elza Fiúza/Agência Brasi)

デルシーがグーグルのアイコンに=生誕109周年を祝して

 世界を代表する検索エンジンとして知られるグーグルは、ロゴのアイコンを世界的な偉人の生誕日にちなんだものとして敬意を捧げることでも有名で、23日のアイコンはブラジルが生んだ伝説的コメディ女優、デルシー・ゴンサウヴェスが飾った。
 デルシーは残念ながら2008年7月に腎不全で亡くなったが、その直前まで、「ブラジルを代表する最長寿女優」として知られ、息を引き取ったときは実に101歳。死の前年の2007年7月には、リオで生誕100周年の記念イベントが盛大に行われ、話題となった。
 長きにわたって活躍したデルシーだが、その一生は波乱万丈に満ちていた。1907年(一説には05年とも)にリオで生まれたデルシーは、幼い頃に実の母親が蒸発、アルコール中毒の父親と共に育った。幼い頃は、黒人の血筋だということで人種差別も受けた。
 16歳のとき、父との生活に耐えかねて家を飛び出したデルシーは、映画館の券売場職員の仕事を得るが、そのときに見た映画の影響で役者になることを志し、ミナス・ジェライス州のサーカスに入った。
 だが、そこからの人生も苦難続きだった。最初に結婚した男性からは暴力といわれなき嫉妬を受け続けて離婚。結核も患ったし、妻子ある男性の子供を身ごもったため、女手一つで育てなくてはいけなくもなった。
 だが、そうした苦難を表に見せない明るいキャラクターが人気を呼び、1940年代からは劇団の仕事で成功を収めるようになった。50年代には「シャンシャーダ」と呼ばれるタイプの喜劇映画で主演女優としておなじみの顔となった。
 60年代になってテレビの時代に突入すると、グローボ局のバラエティで黄金時代を築いたプロデューサー、ジョゼ・ボニファチオ・デ・オリヴェイラ・ソブリーニョ(通称ボニ)に気に入られ、「デルシー」の冠名を使ったバラエティ・ショーも放送されはじめた。
 彼女には放送上難しい下品な言葉を好む傾向があり、積極的に使ったため、軍政下では検閲や放送打ち切りの憂き目も経験した。それでも人気は絶大で、80年代まではテレビに舞台に引っ張りだこという状態が続いた。80歳を超えてからも、テレビのノヴェーラのゲストや、自身の特別番組で存在感を示し続けた。
 1991年にはリオのカーニバルのスペシャル・グループのパレードのテーマに選ばれ、94年には伝記本も発行された。晩年まで公の場に元気な姿を見せ続けた。