私は1946年頃、16歳から3年余、トマス・デ・リマ街にあった小川柔道柔術道場に通って稽古に励んだ。その頃ジアデマは『ヴィラ・コンセイソン』と言われた。その中心から二股に分かれた右側の道路(アスファルトなどなかった)を3km程ほど上ったところの借地で農業をやっていた。
小川道場は多士済々で、テレビによく出でていた今は亡き千葉勇医師、整体師で有名な西村晴夫、厳めしい名の津野豪臣、南米選手権入賞で有名になった倉知光さん―この人は山気があったのか、金脈探しで不幸にも不慮の死を遂げた。さらに篠原正夫さん、シャ・リベイラの岡本等さん、道場に住み込みで、バストスの佐藤さん、畑中さん、そして文協副会長の山下ジョウジ君。ブラジル人では100kg級のドルヴァルさんやマルチンスさんも在籍した。
戦後まもなく、あの有名な全日本選手権13年連続保持者、木村政彦と吉松義彦が、いま牛若と言われた加藤幸雄を同伴して来場された。その折に吉松義彦が三舟久蔵十段の空気投げをみせてくれた。加藤はパカエンブー競技場で、エリオに絞め落とされて敗れた。観戦者はがっかりで失望した。
現今世界中に広まった柔道で、外国の無差別級の外国人に日本の正道柔道は歯が立たなくなっている。空気投げの技が外国人に通用すれば、オリンピックで優勝間違いなしと思うが。
アヴェニーダ・サンジョンに、そのころブラジル人間で有名な小野道場もあった。小川武道館館主、小川龍造先生は元々は鹿島流柔術の先生だといわれる。ニッケイ新聞に掲載された元ブラジル代表監督、柔道家篠原正夫さんが語る『メダリストを育てた武士道精神』は小川武道館の教え今もなを踏襲している。
小川先生の教えは先ず姿勢から。相手と組んだ時は腰を曲げるな、相手に正対せよ。これが基本。さらに「試合には勝者も敗者もない。勝つてもガッツポーズはするな。観戦者は両者に拍手を送れ」と仰っていた。真の侍のような考え方だった。
そして驚くのはここからだ。練習中にあくびをしたら即殴られるということも日常的、当身や肘鉄で気絶させる(私はそんな覚えはないが)。さらに蘇生の手段も身につけるべきで、そのためには2人でどちらかがのびるまで首を絞めあって相手を落とすことなども教えられた。
自分は山田という友人に絞め落とされ数分間気絶していたことを覚えている。現代であればやり過ぎといわれそうだが、当時は徹底的に武道精神を貫いた。また、有段者には活の入れ方も教えられた。
篠原さんの息子は代表選手に、弟子3人も五輪でメダルに輝いている。1956年にサンパウロ市西部に移り住み、現在はひたすら規律を重んじる武士道精神を貫いている。指導者になっても、そんな心構えが篠原哲学の基礎になった。
60年から同地で道場を開く。54年8月に生まれた長男の準一(現男子ブラジル代表監督)にも5歳から柔道を始めさせ、厳しく指導した。「泣いてばかりだった。厳しくしたからね。5人兄弟で唯一男子だったからなおさらだ」
88年ソウル大会では、アウレリオ・ミゲルが金メダルを持ち帰った。00年シドニーでも、篠原道場出身のカルロス・オノラット(90キロ級)らがメダルを獲得した。娘さん達も優秀な女子柔道選手である。小川武道館による厳格な指導の影響だろう。
サンパウロの小川武道館出身の柔道家で、篠原さんのように成功した者は他にいないだろう。