NHKで5月28日に放送された『欲望の資本主義~ルールが変わる時』を見て、資本主義の現状に疑問をもっている経済専門家の声に、少しホッとした。資本主義への疑問を書くことは、「私は共産主義者」とのニュアンスで相手に受け取られる恐れがあり、コラム子はそれがいやで今まで公に言わなかった。だが、刹那的な豊かさを享受した結果が、滅びへの道に繋がるような危惧感が漂う文明のあり方は、どこか不健全だ―と内心思ってきた▼その番組の中で、特にチェコ経済学者トーマス・セドラチェックのコメントは印象的だった。「今の資本主義は、成長至上主義だ。資本主義は本来、成長が前提ではない。社会、年金、銀行、すべての前提が成長になっていることは大問題だ。まるで毎日快晴だと決めつけて船を作っているようなもの。そんな船はダメだ。凪でも嵐でも航海できるのが良い船。晴天を前提にして船を作ってはいけない」▼リオ・サミットなど環境問題のリーダー国を自認するブラジルだが、実は成長至上主義で、特にPT政権はその虜だった。人が無制限に増え続け、資源浪費やゴミ問題で環境破壊を悪化させる一方だったら、地球にとってガンのような存在になってしまう。皆がそれを分かっているはずなのに「物質的な豊かさ=幸せ」「国が発展するには人口増加、経済拡大が不可欠」を前提とした議論が大半だ。そこにすごく違和感を受ける▼ブラジルの昨年のGDPはマイナス3・8%、今年も同程度になる可能性があると経済学者は大騒ぎ。日本は今年0・49%と予測、安倍首相は経済成長減速を危惧して消費税増税先延ばしの検討をしている▼地球という有限世界で生きる以上、人口増加には限界がある。先日ウルグアイのホセ・ムヒカ前大統領が日本で講演して話題になったように、先進国並みの生活を地球の全員することは不可能だ。最近特に欧米の治安情勢が不安定になっている。無制限に成長を求めて、富や資源を取り合って戦争を繰り返し、難民が増え続け、100年先を見通すことすら不安な今の在り方でいいのだろうか―と不安になる。本来なら、できるだけ多くの人々が最低限の満足を得られる安定生活を送れ、1千年先を見通せるような経済システム、「持続」を至上命題とする資本主義に向かうべきではないか▼中世のカトリック教会は、教徒間の利子つき貸借は原則禁止していたが、産業革命後には一般化された。今では世界中が利子や為替の変動に一喜一憂するようになり、危険な綱渡りを続けるような投資が当たり前になった。短時間に大金を稼ぐことが「成功」だと言われるが、それで幸せになった人はどれだけ増えたのか。多国籍大企業がたくさん生まれ、商品を世界中で売ることが可能になったが、戦争はなくなっていない。無軌道な成長を抑え、究極の目標を「存続」に定めた世界経済体制がいつか生まれないだろうか▼常に新しい消費意欲を掘り起こし、刺激を続けるマーケティングや新商品開発は、本当に必要なのか。日本はじめ先進国が低成長率になっているのは、「物質的にこれ以上、満たされる必要性がないから」という〃見えざる神の手〃が働いているからではないか。先進国ほど経済が低成長化し、人口が減少傾向になることは、本当は「自然の摂理」なのではないか▼日本はムリに移民を入れたり、経済成長を刺激しようと国債発行を増やしたりしない方がいい。むしろ、物が豊かな現在の状態、世界的に見れば〃高止まり〃した生活レベルを、できるだけ長く享受することが、実は一番良い選択肢のような気がする。物事には節度がある。明日の株価や金利よりも、1千年先の子孫に残すべきものは何なのか―現代人には、そんなことを真剣に考える心の余裕があるのだろうか。(深)