ブラジルのみならず、世界的な権威として知られた形成外科医イヴォ・ピタンギ氏(93)が6日、リオ市の自宅で亡くなった。7日付伯字紙が報じている。
ピタンギ氏は1923年にミナス・ジェライス州の医師の家庭に生まれ、ミナス・ジェライス連邦大学とリオ連邦大学で学んだ。当時のブラジルではまだ珍しかった形成外科について学ぶために奨学金制度を生かして米国に留学後、ブラジルに帰国したが、英国に再度留学。フランスや英国で医師としての修行を重ねる中、第2次大戦で顔や体に多大な損傷を負ったりした人たちの形成手術に立ち会っている。
ピタンギ氏は美容整形の領域でよく知られているが、彼の同僚や生徒らによると、第一に傾注したのは、先天的な奇形をもって生まれた人や火傷などの傷を負った人の形成手術(修復手術)だったと語っている。
ピタンギ氏の名前が世に知られるきっかけになったのは、1961年にリオ州ニテロイで起きたサーカス「グラン・シルコ・ノルテ・アメリカーノ」の大火災の犠牲者の手術で実績をあげたことだった。
ピタンギ氏は形成手術執刀の傍ら、同分野で100をも超える著作や記事を発表している。同氏は語学にも堪能で、その著作はポルトガル語をはじめ、英語、フランス語などでも発表された。
ピタンギ氏の開発した手術の技術は手術痕が残らないと評判で、著作を通じて多くの世界で手本にされた。こうした功績もあり、1990年にはブラジル文学アカデミー会員にも選ばれている。
また、形成手術の顧客の中には、イタリアを代表する大女優ソフィア・ローレンや、1976年の炎上事故から奇跡の復活を果たしたことで知られるF1レーサーのニキ・ラウダもいる。ブラジルの有名女優や政治家にも顧客がいる。
ピタンギ氏は近年、腎臓病を患っていたが、死の前日の5日朝、リオ市ボタフォゴ地区での五輪の聖火リレーに、車椅子姿で参加していた。
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