リオ五輪4日目(サッカー女子から数えれば6日目)の8日、柔道女子57キロ級のラファエラ・シウヴァがブラジル待望の初金メダルを獲得したと8日付サイトや9日付伯字紙が報じた。
ブラジルに最もメダルをもたらしてきた種目、柔道で、ロンドン五輪金メダリストのサラ・メネーゼスらが続けざまに破れた後、柔道ならびにブラジルに最初の金メダルをもたらしたラファエラは、ロンドン五輪では第2戦で破れ、様々な中傷、暴言に泣いた人物だ。
リオ市西部のスラム街(ファヴェーラ)「シダーデ・デ・デウス」出身のラファエラは5歳の時、姉と共に柔道を始めた。現在も、アテネ五輪金メダリストのフラヴィオ・カント創設の非政府団体(NGO)「レアソン」に所属している。
姉は膝を痛めて柔道から離れたが、ラファエラは頭角を現し、08年には20歳以下の世界チャンピオン、11年の世界選手権で準優勝など、ロンドン五輪には期待されて臨んだ。だが、終始優勢で、技ありまで取ったのに、足を掴んで技をかけたと判断されて反則負けとされたのだ。
意気消沈するラファエラを更に鞭打ったのは、インターネットでの「ブラジルや家族の恥」「サル」「サルは檻の中にいろ、五輪はおまえの場所じゃない」といった暴言だ。
一時は引退も考えた彼女を思いとどまらせたのは、「レアソン」のボランティアの「2年間柔道を離れたと考えたら」という問いだった。
「自分には柔道は捨てられない」と気づいたラファエラは、一念発起して練習に励み、13年4月の汎米大会で金、同年8月の世界選手権でもブラジル女子選手では初の金を獲得した。
その後は、14年、15年とランキングが墜ちたが、ブラジルにメダルをと願って練習に打ち込んだ結果、ロンドン五輪で破れた相手も含む強豪を倒し、決勝に進出。モンゴルのスミヤ・ドルジスレンを破った後は、歓喜のあまり膝から崩れ落ち、表彰台でも涙を流した。
ファヴェーラ出身の黒人でありながら、特別枠などに頼る事もなく、海軍に入隊。ラファエラの試合をテレビで観戦していた「レアソン」の関係者も歓喜に包まれ、「ラファエラは皆に人を信じる事の大切さを教えてくれた」と語った。
「私がどれほど苦しみ、どれだけの事をやってここまで来たかは神様だけが知っている」との言葉と五輪のマークを腕に刺青したラファエラ。その胸に飾られた金メダルは本人に、これまでに流した涙と汗に報いて余りある喜びと感慨を与えただけでなく、貧困や差別、暴力に泣く人々にも大きな希望を与えた。