ブラジル人として初めて国際サッカー連盟(FIFA)会長をつとめたジョアン・アヴェランジェ氏が16日朝、入院中だったリオ市南部ボタフォゴの病院で肺炎のために亡くなった。100歳だった。16日付伯字紙サイトが報じている。
裕福なベルギー系の商人の子として1916年にリオ市で生まれた同氏は、若い頃、水泳や水球の選手として五輪にも出場。だが、本当の意味で頭角を現したのは、ブラジルスポーツ連盟(CDB)の会長(56~74年)を経て、国際オリンピック委員会(IOC)やFIFAの運営に携わってからだ。
FIFA会長には1974年に就任、その期間は98年までの24年と長期に渡った。その間、6回のW杯が行われ、ブラジルセレソンは94年の大会で優勝している。
アヴェランジェ氏の功績の一つは、世界大会を増やしてサッカー文化の活性化に寄与したことだ。80年代後半にはU―17(17歳以下)、U―20(20歳以下)のW杯、90年代前半にはコンフェデレーション杯や女子のW杯も設立。これらの大会は現在まで継続している。W杯も、それまでは16カ国のみの参加だったものを32カ国に増やし、サッカー文化の国際化にも貢献した。
会長退任後はFIFAの名誉会長に就任、兼任していたIOCの委員は継続してつとめたが、これ以降はシューズ・メーカーのアディダスとの間で会長選を媒介とした金銭授受疑惑などの汚職疑惑が取り沙汰されはじめ、2011年にはIOC委員、13年にはFIFA名誉会長を辞任せざるを得ない状況に追い込まれた。
また、同氏の娘婿でブラジル・サッカー連盟会長を長年つとめたリカルド・テイシェイラ氏や、FIFA後任会長のゼップ・ブラッター前会長も汚職で問題になるなど、負の遺産も残した。