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実録小説=勝ち組=かんばら ひろし=(5)

 何しろ絶対多数のブラジル人に囲まれて住むのであり、ことに官憲の保護も十分に及ばないこの様な田舎町では不安を増すような噂が多かったのである。
「ポポーッ」九時半を告げるハト時計が鳴った時だ。
「大変だ。外人たちが大勢こっちへ向かってくる。もう広川さんの家をやって、今は平田さんの店を襲っている。その次はきっとここがやられる」様子を見てくると再び外に出ていた松太郎が、ダダッと駆け込んで来た。
「源さん、アブドの奴がけしかけているんだ。こっちの方角を指して『日本人は敵国人だ。日本人の財産は皆我々のものだ。奴らがブラジルから奪ったものを取り返せ』と叫んでる。それに手下どもが群集をこっちへ誘導している」
「畜生、あいつがか! 騒ぎに乗じて日頃の商売の負けを返そうって魂胆だな。出来損ないの糞ったれ!」
 既に身支度を整え待機していた源吉はパッと椅子から立ち上がり、外へ向かって駆け出そうとした。
「待って」ふさがその腕をとらえた。
「あんたどこへ行くんです。まさか騒ぎの中へ…」
「おうさ、行くとも。アブドの奴を叩きのめしてやる。卑劣なやり方で自分が一儲けしようなんて野郎をのさばらしてはおけん」
 アブドはアラブ系のブラジル人で町の一方の角でやはり源吉を同じ様な商いをしていた。
 悪どいやり方で財産を築いたのだが、それでも結構、金の力に引かれて取り入る者も多かった。たまたま、今日は枢軸国軍艦による『ブラジル汽船撃沈』の報に市民の感情が猛りたったところを利用、手堅く商売を伸ばしてきて、目の上の瘤となった『カーザ・アサヒ』に一撃を加えようと、民衆を煽りたてていたのだ。
 今までジッと我慢していただけに、源吉はカッと怒りに燃えていた。
「源さん、そりゃー無茶だ。相手が一人や二人ならともかく、荒れ狂った奴らが町中一杯だ。アブドの周りにも十人とはくだらねえ手下がついている」
「そうですとも。そんな気違いのような外人たちの中へ飛び込んでいって、貴方に万一のことがあったらどうします。いーえ、私達はどうなりますか。正吉や勝次や子供達は誰が守ってくれます! ここに残る家族のことを考えて下さい」
 ここで思い止まってもらわなくてはと、ふさは必死に説いた。
「いや、こんなことで時間をくわれてちゃあいけねえ。早いとこ持てるものだけ持って、安全なところへ逃れましょう。大勢がワット来る時はどんな乱暴をされねえとも限らねえ。源さん、元気でいりゃ、意趣返しはいつでも出来る。何よりも自分の身体と家族が大事だ。さあ、早いとこ退きましょう」
 一時の怒りにカッとなり、我を忘れて駆け出そうとはしたものの、言われてみればふさや松太郎の言うとおりだった。今は戦争中なのだし、自分達は祖国の庇護の及ばない敵国の中にいるのだった。
「後は神のお守りを願って、個々はとにかく、一時後退だ」少し冷静にかえると日頃のテキパキとした判断力を取り戻した。