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実録小説=勝ち組=かんばら ひろし=(7)

「父ちゃん、火だ」正吉が低く叫んだ。
「うーむ」子供の手を強く握り返しながら源吉はうめいた。
 めぼしいものをあらかた奪い尽くしたあげく、誰かが火をつけたらしい。店の奥の方から黒い煙がもくもくと上がり、やがて黄色い炎の色がチラチラと見え出した。群集の興奮はその極みに達した。
 もう何のためにこんな騒ぎをやっているのかも分からない。敵国も日本人もどうでもよかった。熱気に酔ったように、ただ猛り狂っていた。やがて店の中に積んであった油に火がついたらしい。ひとしきり煙が出たとみるやグオーッと大きな炎の柱が立ち、家の屋根を突きぬけた。周囲が赤々と照らし出された。
 勢いを増した火は店の隣に続く源吉の住居の方にも燃え移り、あたりに広がっていく。
「畜生、泥棒ども」
「たくらんだな、アブドめ!」
 はじめは低くおしつぶすように叫んでいた源吉も、今は何も言わなくなった。ブラジルに渡ってきて十数年、西も東も分からない苦労の中から、粒々辛苦して築き上げてきた努力の成果が、今、目の前に音を立てて燃え落ちようとしている。
 やっと固まってきた発展の基礎が、一挙に根こそぎ失われようとしているのに、それを防ぐことも出来ない。誰に罪があるのか。誰に救いを求めたらよいのか。無念が心をかすめた。
「店が燃えてる。家も燃えてる。僕の本もさと子の服も、みんな燃えている。 父ちゃん!」涙声で正吉がすがりついた。
 ギュウーッと口を結び、目だけをカッと見開いた源吉は仁王立ちのまま、黙って応えない。応える声もない。
 星がまたたいた。暗い夜を背に、ひときわ明るさをました火が石像のように立つ親子の姿を照らし出した。火明かりに映えて、淡く濃く影が揺らめく源吉の横顔に、灰が、火の粉が、高い空からハラハラと降りかかった。

 パイネイラの花が幾度か咲いて、そしてまた散った。この淡い紅色の花びらが一面に散り敷いて地面を彩り終わると、冬の寒さも一段とその厳しさを増す時期だった。
 源吉はあの焼き討ちで、土地以外の大部分の財産を灰にされてしまっていた。そして敵国人たる彼には大衆相手の商売による再起の道はとざされてしまっていたのである。
 戦時景気を受けたアブドの店の隆盛を一方に見ながら、源吉に残された唯一の道は田舎に引っ込み、自分の食べるだけを自分で作る、元の百姓の生活だった。
 そして、そんな退避生活に入ってから間も無く、骨身を惜しまず働き、源吉には優しい妻であったふさが、それやこれやの心労が重なってか、ふとした病気がもとで淋しく死んでいった。
 何事にも不如意な戦争状態の異国での生活では思うような看護もしてやれず、気丈な源吉は口惜しい思いをした。葬儀の当日は親しい者だけが集って、野の花で飾った白木の棺をすぐ近くの岡の上にある墓地に葬った。
 源吉は大きな生きがいを失ったような気がした。手を取り合って、この国に新天地を築こうと努力してきたのに、成長の喜びを語り合う最愛の同志が居なくなってしまった。日本人同士の集会が禁じられていたせいもあるが、この頃から源吉は余り人とも付き合わないようになった。