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実録小説=勝ち組=かんばら ひろし=(8)

 以前は気力にあふれて話をしたのに、めっきり口も重くなった。ただ、残された四人の子供たち、正吉、勝次、以下の二人の女の子に対する時だけは、その強い閉じられた顔に、昔どおりの明るい笑顔が浮かぶのだった。
 大陸の夜は深々と更けて、平原の乾いた空気に寒さがひとしお身にしみた。広い耕地の中にポツンと建った源吉の家の中では粗末な木造りのテーブルを囲んで数人の男たちが椅子についていた。
 何れも日に焼けた、逞しいながらどこか苦悩の色をにじませた男たちの顔を、テーブルの上のランプが一つ、寒々と照らし出していた。
「今度の話はやっぱり本当だ」もう休まず話し合って来ているのに、疲れた様子も見せず、川本は続けた。
「サンパウロには日本本国の新聞が入って来ていて、古屋という人の家では、それを塀の外に張って、皆に見せているというんだ。『日本は負けた』とその新聞を見てきた人が言うんだから、間違いはないわ。今まで外人やアメリカの手先どもが言うのとは違うんだから、我々もよく考えてみにゃならんのじゃないかな」
 一番さわられたくない所をいきなりぐっとえぐられた様に、皆、苦い顔をして重苦しく黙り込んだ。
 沈んだ空気を突き破るように、山中が荒々しく口を切った。
「フン、そんな新聞も敵の謀略よ。そんな手にうまうま乗ったら、後でとんでもないことになるぜ。シンガポールを奪り、アメリカ本土まで砲撃した日本軍が何でそうやすやす負けるもんか。恐れ多くも万世一系の天皇陛下が統べ給う帝国軍隊が、降伏なんて考えられもせんことだ。ここで弱音をはいて外人の言うことなんぞ聞いて居たら皆の物笑いの種だぜ。俺は祖国の軍艦が迎えに来るまで、断じてがんばる」
「そうだとも、俺も山中さんと同じだ。近頃はどこで生まれたのか知らんが、同じ日本人のツラしながら『日本は負けた、日本は負けた』と吹聴して歩く野郎がいて、ここいらの人を大分まどわしているようだが、そんな話は聞くだけでも胸がムカムカしてくる。俺たち、筋金入りは絶対だまされはせんぞ」いきり立つ声が続いた。
「だがな、あんた、落ち着いて考えてみなよ。日本のラジオ放送が聞こえなくなったてのはおかしいじゃないか。本当に日本が勝ったものなら、じゃんじゃん大本営発表があってもいいはずだろう。それに日本の放送がなくなってどれだけになると思う。周りのブラジル人の一時のごまかしではない様子から見ても、これは何かあったと思うのが本当だぜ」別の声の反論があった。
 皆が居る前では議論はつい威勢の良いほうに傾き勝ちだったが、こうはっきりした事実を突きつけられて、再び重苦しい沈黙が一座を支配した。男たちの集っている土間の隅にはレンガと土で築いたかまどがあり、くべられた太い丸太がもう殆どオキになって、細く煙を上げていた。
 松太郎がつと立つとそのかまどの上から湯沸しを取り上げ、『寒いのう。まあ、カフェーでも一杯』と皆に熱いコーヒーを注いでまわった。殺風景な土間の中にひととき、コーヒーの香ばしいかおりが漂った。