ラファエラは「反復練習が大嫌い。試合のビデオを見るのも嫌がる」というような根っからの〃自由人〃だった。
そのため「いかに楽しませながら、遊び感覚で畳に上げるか」を重要視した。『こうしなさい』ではなく『こうしてみたら?』。『今の良い感じじゃん! もう一回やってみなよ!』というニュアンスの言い回しだ。
技術を押し付けるのではなく、同じ視点に立った者の言葉を意識して距離を縮めていく。
これは藤井さんの指導スタイルとも相まった。親近感を持って選手に接する指導が、特徴の一つだったからだ。そういう意味では、「初めて会ったときから相性が良かった」とも。
次第にラファエラも信頼を寄せるようになり、柔道を離れても共に過ごす時間が増えた。仲間とのシュラスコや、藤井さんに長男(現在2年7カ月)が生まれたときも、ラファエラが病院に見舞いに訪れるような関係になっていた。
今振り返って「根気が必要だった」とは言うが、その言葉にはいわゆる「苦労した」という雰囲気は漂っていない。お互いが長所を伸ばせるような関係性だったことがうかがえる。そして8月5日。南米初開催となるリオ五輪開幕の日を迎えた。
柔道競技の初日は6日。軽量から順に始まり1日ごとに区切られる。57キロ級のラファエラの出番は3日目。男子ではキタダイ・フェリペ、知花チャールズが破れ、女子でもメダルを期待された2選手、サラ・メネゼス、エリカ・ミランダまでもが涙を呑んだ。
藤井さんはコーチという立場上、当日でも、リオ郊外マンガラチバの合宿拠点を離れることができなかった。柔道は試合前日に選手村へ入るため、後に続く選手の指導に当たらなければならなかった。
愛弟子を送り出す時は、こみ上げる涙をグッとこらえた。「一番密に過ごした選手。最後の大舞台を前に、彼女の頑張りを思い出したり、一緒に会場へ行けない思いなど、いろんな感情が混ざり合った」。
それでも、マイナスな感情では見送れないと我慢した。そんな心境にラファエラも気付いたようで、「もう(優勝する)準備はできてるよ。センセイも準備しておいて」と力強い宣言をし、逆に励ました。二人は熱い抱擁を交わし大舞台へと臨む。
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試合は全てトーナメント(勝ち抜き)制で、昼過ぎまでの第一部と、準決勝からの第二部に分かれる。ラファエラは初戦を一本勝ちで制し、続く2、3回戦も優勢勝ちを収めた。頂点まで残り2試合。藤井さんも稽古に一段落ついたところで、昼過ぎからの中継をテレビの前で見守った。
準決勝が始まる前のラファエラは「入場の時に覚悟を決めた顔つきになっていた」と話す。「五輪は番狂わせもあるが、勝つと決めた選手が優勝する大会だ」と感じていたため、期待が膨らんだ。
ただし試合では苦戦を強いられた。均衡した展開となり延長へ。お互い我慢が必要な耐久戦だ。ラファエラにとっては弱みが出やすい状況でもあった。(つづく、小倉祐貴記者)
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ラファエラ・シルバと藤井裕子コーチは、家族同様の付き合いをする。生まれてくる藤井さんの子に、ラファエラから「ラファエルと名付けて」と進言を受けたりしたとか。でも「いや、それはナイから」と楽しく言い合う間柄に。結局、冗談を受け流し「清竹」と命名。ただニックネームはラファエルで決まり?