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「日本と南米つなぎたい」=亜国出身歌手の大城バネサさん

母国や日本への思いを語るバネサさん

母国や日本への思いを語るバネサさん

 亜国に移住した沖縄出身の父と、二世の母を持つ大城バネサさん(34)が、日本を拠点にプロ歌手として精力的に活動している。先月の日伯地デジ協力10周年式典に関連し、記念ステージで公演するために来伯。公演前に取材に応じ、「日本と南米をつなぐ活動をしたい」と意気込みを語った。

 1981年ブエノスアイレスに生まれ、両親は共に沖縄にルーツを持つ。家庭ではウチナーグチが飛び交い、琉球民謡や三線の音色が響く家の中は、さながら「小さな沖縄だった」という。
 やがて演歌を歌うようになり、日系カラオケ大会にも出場するなど歌うことが大好きになった。ただデビュー前は母国で大学に通っており、今振り返れば「日本でプロ歌手になるなんて、現実離れしすぎて夢にも思わなかった」。
 転機は01年10月。NHKのど自慢の亜国大会で優勝し、翌年のグランドチャンピオン(優勝者)大会でもタイトルを奪取した。外国勢初の快挙ともあって東芝EMIがスカウト。「日本での姿を家族に届けられたら」との思いで決意した。
 その後は悔しい思いも経験した。シングル7作目を出した08年末、事務所との契約が終了。途方にくれたバネサさんの恩人となったのは01年、ブエノスでの第1回日本文化祭で出会った日本人女性だった。それが現在所属する事務所「Rサプライ」の青山るみ社長。日本舞踊の師範として、同祭に出演した際の出会いがきっかけだった。
 「訪日前200人が見送りに来たという彼女を帰すわけにはいかない」という親心が彼女に希望を与えた。地元の岐阜県羽島市に転住するよう進め、11年に歌手としての再スタートを後押しした。
 現在は中部圏と沖縄のテレビやラジオにレギュラー出演する。沖縄、羽島などの観光大使にも任命され、テコンドー協会の公式曲も担当するなど活躍は多義に渡る。
 デビュー時から日亜、南米をつなぐ活躍を胸に決めていたバネサさん。「ブラジル公演のオファーを頂き、本当に嬉しかった」と語る。「南米に移住し信頼を勝ち取った日本人。先人に感謝しつつ、私も日本人の誇りを持って歌いたい」。7年ぶりに母国にも帰省し、心新たに活躍を誓った。

 

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 デビュー前には亜国の大学で料理を学んでいたという歌手の大城バネサさん。「卒業したら訪日して日本料理の勉強をできればと考えていた」という。歌手でなくとも日本での活動は希望していたようだ。「亜国育ちだけど日本はやっぱり憧れ」と話す彼女の活躍に期待。10月の世界ウチナーンチュ大会にも出演する予定なのでご注目。
     ◎
 バネサさんの事務所社長、青山るみさんは日本舞踊の師範でありながら作詞活動もし、一般財団法人「国際クラブ」では理事長を務める。今回が3回目の来伯で、岐阜県人会に「がんばってほしい」との激励を込めて同団体を通じ100万円を寄付した。財政が厳しい県人会にとってはありがたい話。ぜひ有効活用を。