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今のブラジルに必要な日本精神が込められた本

長野県長野市の真田公園内にある恩田杢像

長野県長野市の真田公園内にある恩田杢像

 サンパウロ青年図書館と本紙が出版する日本語・ポルトガル語両語のシリーズ本『日本文化』第3巻が、先ごろ刊行された。今までポルトガル語では紹介されたことのないトヨタ、ホンダ、キョーセラの創業秘話や企業哲学を中心とした8話構成だ。中でも統一地方選挙の年なので、政治関係で思い入れの深い2編も組み込んだ▼一つ目は「恩田杢(もく)」だ。財政破綻して大不況のブラジルを再建するには、どうしたらいいのか。日本の歴史の中から、いま役に立つような実例はないか―という視線でこれを選んだ▼恩田民親(おんだ たみちか、通称「杢」、1717―1762年)は今から258年前、松代藩(今の長野県長野市)の財政再建を託された家老だ。彼はまず、現在でいう市民公聴会を開き、武士から百姓代表まで幅広く呼んで、殿様の失政で財政破綻し、領民に難儀をかけていることを詫びた。百姓まで呼ぶこと自体、当時は異例中の異例だった▼さらに「ウソは一切つかない。言ったことは守る」と領民の信頼回復を最優先。財政改革に心身全てを集中させるために、家族、親族、家来を集めて「義絶」を宣言。改革の模範となるために自分の生活を切り詰め、「飯と汁より他はたべない」と粗食の公約までした▼クーニャ前下院議長はスイス銀行の秘密口座でカードを作り、本来の収入を遥かに超える贅沢三昧を家族でしていたと告発されている。さらにルーラ元大統領も、関係の深い建築会社が改修工事した、自分の名義でもないアチバイアの豪華別荘に毎週の様に通い、汚職捜査の俎上にあげられている▼今のブラジルに必要な政治家、為政者はどんな人物なのか。恩田杢の話は二、三世には「おとぎ話」のように聞こえるかもしれない。だがまったく実話であり、その精神は今のブラジルでこそ活かされるはず―との想いを込めて選んだ▼二つ目は「小林虎三郎」(1828―1877年)だ。長岡藩(現在の新潟県長岡市周辺)は幕末の戊辰戦争で旧幕府側について新政府軍との戦いに敗れ、武士階級ですら3度の粥にもことかく羽目に陥った。窮状をみかねて付近の藩から見舞いとして米百俵をもらった時、再建を任されていた虎三郎は「食えないから学校を立てる」と決断した▼「これで何日か米が食える」とぬか喜びしていた多くの藩士は大反対したが、虎三郎は「藩の8500人に配ってしまえば、1、2日で食いつぶす。いま食えないからこそ学校を作るんだ。この百俵は、いまでこそただの百俵だが、学校を作れば後年には1万俵、百万俵か、計り知れないものになる」と押し切って国漢学校を創設した▼明治3(1870)年に創立した同校は、農民や町民にも入学が許された。従来の漢学だけでなく国語や国史、世界地理、国際事情、哲学、博物学まで教える「今後の日本が必要とする教養と知識を備えた人物を育てる」新しい学校だった▼そこから後の法務大臣、東京帝国大学総長、明治期最大の出版社だった博文館の創業者、連合艦隊司令長官・山本五十六など、近代日本の発展に大貢献する人物が続々と輩出した。まさに米百俵は「計り知れない」価値を持った▼今のブラジルは世界で第9位の経済規模を誇る大国だ。明治初期の「米百俵」に値する金額など造作もないはず。本当は豊かなはずのこの国に食えない人(貧民)がたくさんいるのは、「人を作らないから食えなくなった」という逆向き歯車が回っているからではないか▼藩どころか日本を立て直したこの「考え方」こそ、二、三世やブラジル人に広く知られるべき実例ではないか▼当地では「コーヒーよりも人を作れ」(日本力行会第2代会長・永田稠)との言葉が知られているが、日系社会は本当にコーヒーよりも人物を作ってきたのだろうか。(深)