この半年間、忘れようとて忘れられない母の悲鳴を、又聞いてしまった。とっさに私は、エンシャーダを投げ捨てた。そして走った。そのただならない行動に、茂夫は異常を感じたらしく、自分も手からエンシャーダを放して、一緒に走った。気は急くが、家まではあまりにも距離がある。たどり着いた時も、母の悲鳴は続いていた。
父が家の裏の壁に母を押し付け、薪を片手に思いっきり頭を殴り続けている。ゴクッ、ゴクッと異様な音がする。男の手にしか掴めないような太目の薪であるー一瞬、息を呑んだ。
しかし後に茂夫が控えている。(まさかの時は、彼が守ってくれる)と直感した。私の全身は恐怖で固まったが、父に飛びついて薪を奪った。思いがけないことに、父はすぐに力をゆるめた。その意外さに、ちょっと後に控えている茂夫の姿が脳裡をかすめた。母はその場に崩れ折れた。その時、すぐ横にある茅葺きの便所の戸が開いた。弟であった。
「保っちゃん! あんたそこにおったとなら、なしお父さんを止めんやったと?」
と私は驚いて言った。気の弱い弟は、
「うんこ、しよったき」と弁解した。
この騒動の原因は、祖母が髪を染めるための道具で、その小さな器を、母が持っていたことだという。父がそれほど、祖母を嫌っていたとは知らなかった。そんな形見など、父は見たくもなかったわけだった。私はそれより何より深刻な思いに捉われた。この異国の地に来てまた父の暴力が始まった、ということに……
しかしあの日、茂夫が側にいなかったら、どうなっていたろうか。彼がこの家に居るということは、こんなに心強いものだとは知らなかった。おまけに彼なしでは、この家はやって行けない。以後、父は暴力は振るわなくなった。その代わり茂夫へのいじめに転じたのだ。
たとえば聞こえよがしに、彼へのあてつけを言う。食事の時は、無言で彼を睨む。茂夫の一箸、一箸、食事の済むまで睨み続けている。その憎しみのこもった、あの父の眦(まなじり)。
当の茂夫は、いそがしく食べ物を掻き込んで、その場を立つ。いかに辛い食事であろうか…… 愚痴ひとつこぼさない茂夫が哀れだ。娯楽のひとつもないこの地で、せめて慰めにと茂夫に本を読んで聞かせた。日本から持ってきていた雑誌である。彼は文字が読めない。楽しんでもらおうと思って読んでも、反応が全くない。傷つけているのだろうか。その気持ちが分からない。なぜなら、彼は日ごと無口になってきているので、あの明るかった茂夫の笑い声など、久しく聞いていない。
食 糧
六キロメートル先に売店がある。たった一軒しかない小さな店で、主に穀類を扱っている。そういった物は、横の倉庫から取り出してくる。店頭には、ぱっとしない品が並んでいるだけ。この売店で弟の保明が食料を確保してくる。
話がそれるが、この売店の店主は、若くて美男子である。この男だけではない。その辺でエンシャーダを振っている者もハンサムが多い。ところが女性も、映画スター級がどこにでもいる。そんな美女が、はだしで歩いていて、服は木綿の袋のようなものを、ひっかけているだけである。女性は、人里離れた所を行く時は、必ず山刀を持っている。
ところで、男性は女性の三分の一くらいしかいないそうである。昔、ブラジルと戦争をしたためだと聞いた。