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「日本人は恩を忘れない」=福博村がビアンキ家に感謝状=同家建立の教会100周年で

100周年を迎えたバルエル教会の前で、左から上野会長、シルリーさん、エジメラさん、その夫、大浦さん

100周年を迎えたバルエル教会の前で、左から上野会長、シルリーさん、エジメラさん、その夫、大浦さん

 「日本人は100年経っても恩を忘れないことを示したかった」――福博村の創立者・原田敬太を通して日本人に土地分譲をし、日本語学校建設時にも尽力した恩人、イタリア移民ロベルト・ビアンキ(1875―1956年)。サンパウロ州スザノ市バルエル区にある、彼が建てたバルエル教会の100年祭の開会式で24日昼、福博村会(上野ジョルジ会長)の大浦文雄顧問(92、香川県)は、そんな想いを込めて感謝状を渡した。

 原田敬太は植民地創設を思い立ち、日伯新聞の三浦鑿に相談、ビアンキを紹介された。1931年3月11日に原田敬太がまず入植し、そこから「福博村」が始まった。大浦さんによれば同村の総面積約800アルケールのうち、400アルケールはビアンキが分譲した分。さらに日本語学校建設の時も1アルケールの土地とレンガ1万個をポンと寄付した。
 1935年3月、レンガ作りの立派な学校ができて「教育が充実している」との評判が広がり、同年6月20日に大浦さんの父・要さん(かなめ)が土地を買った。大浦さんは「ビアンキ氏が土地分譲した条件は当時としては良いものだった」と証言する。事実、最盛期の1970年代には214家族まで増えた。
 ビアンキ氏はイタリアで生まれ、1887年、12歳の時にブラジルに密航した。最初はリベイロン・ピーレス、後にスザノの同地区に移り炭焼きや商業を始め、財産を作った。1916年に私費を投じて、祠しかなかった場所にバルエル教会を建立した。
 その後、J・ビアンキ建設会社を設立してサンパウロ市で宅地分譲・住宅建設事業を始め、現在も続いている。一族の原点ともいえる教会建設を記念し、今回100年祭が企画された。
 一族を代表して顕彰プレートを受け取った二人、孫エジメラ・マルケスさん(78)は「一族一同、このような顕彰をしてもらい本当に感謝している」と感謝した。
 もう一人、シルリー・オリベイラ・ペレイラさん(80)も、「一族は今では200人近くに増えた。この教会は暫く放置され、荒れ放題になっていたが、今回一族の力を総動員して2カ月がかりで天井貼り直し、電気設備やり直し、内装一新など突貫工事でやった。そんな晴れの日に、日系コロニアから感謝プレートをもらって感激」とほほ笑んだ。
 百年祭は翌25日にミサ、ケルメッセ、花火打ち上げで締めくくられ、一族と地元住民が盛大に祝った。


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 現在は曾孫、玄孫までいるロベルト・ビアンキ氏の一族。初代ビアンキ氏を直接に知らない世代も多く、大浦文雄さんが「原田敬太さんの家で何度か会ったことがあるよ。ビアンキ氏は大男でね、さっそうと馬に乗って現れる姿が何とも勇ましかった」と解説を始めると、一同は驚いていた。「福博に住んで81年」の大浦さんだけに、日系コロニアの外でもその経験は十分に貴重なもの。他の日系集団地でも、創立期に世話になったブラジル人子孫の顕彰をしていけば、「日本人は恩を忘れない民族」との評判がブラジル中に定着するかも。