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道のない道=村上尚子=(14)

 何やかやと大変なことが押し寄せたが、一段落した。こちらも人のことどころではない。産後の養生のため、炊事は私の当番になった。その後、川中さんの指導のおかげで、こちらも自給自足の体制に入っていった。
 少しづつ玉ねぎやキャベツ等が出来始めた。しかし相変わらず、肉もなければ魚もない。主食はあのとうもろこしだけ。とぼしい材料で、皆が飽きないよう工夫しなければならない。
 私は母に比べて手料理は巧かった。日本から小さな機械を持ってきていた。「ミンチ」という手動式のもので、これが大活躍したのだ。とうもろこしは、使う量だけ水に漬けておく。そのふやけた実を、ミンチで砕くのだ。ぽろぽろの粉となり、これをおかゆにしたり、雑炊にしたりした。それにしても、限られた僅かな材料には参った。努力して、料理の目先を変えるのに苦しんだ。炊事場の戦争である。

 こんな時のことである。
 八キロ先に山城さんという人がいた。私たちが奥地で苦労していると聞き、やってきた。山城さんも、もうジョンソン耕地では古株のほうである。一応、そこそこ地盤は出来て落ち着いている。この日、彼は挨拶代わりに、何と黒豆を一俵、馬の背に乗せてやってきた。父より年は上で、大柄な人である。無口で何ともいえない温かみのある器の大きそうな人であった。父とは一時間くらい話を交わし、やがて帰って行った。
 その後、この人にお世話になることになろうとは思ってもいなかったが……
 とにかく、毎日の献立に豆が加わったのだ! 早速、次の日は、餡入りのまんじゅうを作った。日本を出て以来の出来事である。たっぷりした餡子を、とうもろこしの身で包んで蒸した。これに、多めの野菜スープを添えた。
 この寝ころがって食べるおやつのような物……皆、席に着き、両手で支えるようにして、大切そうに食べている。黙々とほおばって、だれも無言であった。まんじゅうに歯を入れると、鮮やかな黄色がこわれて、中から真っ黒な餡が現われ輝いている。この豆が我が家にとって、どんなに新しい力を添えてくれたことか……

 相変わらず、父はみごとに何も手伝わない。彼の話題は、仕事に関するものはない。珍しくこの日、大発見でもしたような、ご機嫌な声を出している。
「夜中に、履物を探して、便所に行く時はランプは要らんぞ。これ見ろ! ほたるで見つけられるぞ!」
 自慢げである。とってきたコップ一杯位のほたるたちが、お尻に灯りを放って動き回っている。なるほど足元は明るくなる。けれども誰も夜中の便所は不要である。
 若者たちは疲れきっているので、朝まで死んだように寝ていて、目も覚めないのである。

 そんな役立たずの父でも、以前よりは大人しくなっていたのだ。その彼が又、もとに戻った。きっかけは、父の恩給が、このパラグアイで受け取れるかも知れない、という情報が入ってからだ。
 恩給とは、戦争で目をやられたその手当てである。右目の前を鉄砲の弾が飛んで、その風圧で失明したのだそうだ。眼の恩給というのは高額らしく、よく憶えてはいないが、二ヶ月おきに受け取る額が三千ドル位になっていたらしい。これが、パラグアイにも送金できそうだ、というのである(父の友人K氏が、生涯代理人として受け取り、ドルを送り続けて下さった)。今は亡き弟卓二が、ひとこと私に言ったことがある。