「カピタ」の愛称で知られ、1970年のサッカーW杯優勝時の主将を務めたカルロス・アルベルト・トーレス(72)が25日朝、リオの自宅で心臓発作を起こして倒れ、病院に運ばれたが助からなかった。25日付現地紙サイトが報じている。
1944年にリオで生まれたカピタは、1963年に地元リオのフルミネンセでプロ選手としてのキャリアをはじめた。右サイドバックの選手として頭角を現した彼は、翌64年に早くもセレソン入りを果たした。
クラブ選手としては、1965年から74年まで所属したサントスでの印象が強い。ここで彼はペレと同僚となり、4度のサンパウロ州選手権優勝に貢献する。
W杯出場は1回しかないが、その1970年メキシコ大会で彼は右サイドバックのレギュラーと主将を務めた。ペレやトスタン、リヴェリーノ、ジャイルジーニョ、ジェルソンら、ブラジルサッカー史でも最高の攻撃力を持ったセレソンを、彼は攻守にわたって支えた。
特に決勝の対イタリア戦後半35分に、ペレから受けたパスをダイレクトで豪快に決めた4点目のシュートは、W杯史に残る名シーンの一つとして知られている。
歴代セレソンでも最強と称されるチームをまとめたキャプテンへの敬意から、「カピタ」の愛称がついた。
セレソンには1977年まで選出され続け、通算53試合で8得点を記録。同年にブラジル・サッカー界を引退後、アメリカ・リーグのニューヨーク・コスモスに移籍し、同チームで82年に引退した。
その後も83年から2005年まで国内外のクラブ監督やオマーンなどの代表監督などを務めた他、1989~92年はリオ市議員を務めるなど政界でも活躍した。
近年はサッカー番組の解説者として、ご意見番的な存在だった。23日もテレビ出演したばかりで、突然の死に国内外からの弔辞が続いている。