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第46回県連故郷巡り=悠久と躍動の北西パラナ=(1)=ゆかりの深いウマラマ

 第46回県連ふるさと巡り一行119人は9月29日から10月5日にかけて、北西パラナのウムアラマ、グアイーラ、カスカベルの日系団体と交流し、最後にジュレマ温泉を訪れた。南麻州との州境、パラグアイとの国境に面したパラナ州北部から西部は、サンパウロ市からバスで10時間から16時間もかかる遠隔地だが、南米産業開発青年隊の訓練所がかつて開設され、博物学者の橋本梧郎さんが創設したセッチ・ケーダス博物館があるなど、日本ともゆかりの深い地域。パラナ州の奥地での交流を、一行は今回も堪能した。
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 サンパウロ市リベルダーデ広場から29日午後4時半にバス1台、夜9時過ぎに出発した2台が、最初の目的にウマラマに到着したのは一晩車中泊をした翌朝9時すぎだった。
 ホテル・カイウアのロビーには、現地在住40年の佐々木雄彦さん(たけひこ、89、秋田県)がさっそく出迎え。岩手大学農学部を卒業後に呼び寄せで渡伯、現在牛300頭の牧場主だ。
 横に座った青年時代からの友人で一行の一人、下坂匡さん(ただし、79、福島県)は「彼は底知れない広い付き合いがある」とうなずく。1955年12月、18歳で渡伯した下坂さんは福島県いわき市出身で、東日本大震災で爆発した原発から45キロ地点に住んでいた。「農学校時代の同級生が二人、津波で死んだ」。
 佐々木さんのおかげで、下坂さんが最初に入ったカフェランジアで世話になったアイザワ・イサミさん(同地在住)と、実に60年ぶりに再会する手はずになっていた。「原始林開拓に入る前に、味噌や醤油の作り方から、豚を解体して石鹸を作る方法とか、みんな彼から教わった。そのおかげで何もない原始林でも何とかなった」と振りかえる。
 実際に昼食中にレストランにアイザワさんは姿を現し、記者は写真だけ撮ったが、話を聞く前に帰ってしまった。下坂さんはカフェランジア時代の野球チームの思い出の写真を焼き増しして、アイザワさんにプレゼントした。「父は46歳。その野球チームの監督をしていた。当時、カフェランジアに7チームあり、優勝したこともあった」と懐かしそうに語った。
 車椅子ながら十数回も参加している一行の及川君雄さん(79、岩手県)は、今回も訪問先3団体に贈呈する自家生産するバラを入れた箱を携えていた。
 昼食中に話した一行の牧野恒司さん(まきの・つねし、76、長野県)=コチア青年1次15回=は、高校卒業直後の18歳、アメリカ型の牧場経営を漠然と夢見て、最初はアルバレス・マッシャードのパトロンのもとに入った。「ブラジルじゃあ、1アルケールに牛が数頭だけなんでたまげた」。パラナのイヴァイランジアでの薄荷づくりを経て、アチバイアでトマトの歩合作。
 その後、サンパウロ市に出て職を転々とし、エンブ―に移ってグラフファイバーで風呂桶の量産を始め、デンコーや銭亀などに卸した。その後、整髪台作りにも取り組み40数年続け、07年頃辞めた。
 牧野さんは1958年6月15日サントス着。「ちょうど移民50周年で三笠宮殿下が来られていて、ブラジルの新聞には『Me-Casar no Miya』(メ・カザール=私と結婚して)なんてダジャレが出ていたのを覚えているよ」と豪快に笑った。(つづく、深沢正雪記者)