蛇は、ひろ子から私へ目を移した。こちらも睨み返した。蛇は、この無謀な私に気圧されたのか、闘争力を失った。そして池のほうへ体を延ばして、うねうねと逃げて行った。どうして私に、そんな勇気があったのか、分からない。夢中であった。
我にかえった私は、何気なく後ろを振り返った。たまたま、あの背の高い、よく日焼けした顔の青年が通りかかった。何があったのか知らないくせに、見てみないふりをして行ってしまった。
ひろ子の口にも、だんだん人間並みの食べ物が入るようになった。ある日、トマカフェー(おやつ)に、母が「ぜんざい」を拵えた。ぜんざいは、小豆の代わりにフェジョンで、中に入れる餅はメリケン粉の団子にした。それでも、この偽のぜんざいは、私たちにとって、大変贅沢なものであった。母の作り上げるぜんざいの、一部始終を、幼いひろ子は熱心に見ていた。
「さあ、ひろ子、みんなを呼んでおいで、カフェーの時間ばい」
と母は、孫に言いつけた。みんなの働いている、トマト畑は、隣の家の横手にある。そうして地形は低く広がっている。そこから呼べば、皆に声は届くのだ。皆がいかにも楽しそうに、とりとめもない話をしながら戻って来た。
「ひろ子のやつ、オレたちにカフェーの時間を知らせに来たのはいいが、『だんごのフゼジョーン(フェジョン)!』と説明付きで、おらんだばい」
と保明が笑って言った。幸せな時間であった。
あの悲惨なパラグアイでさえ、絶望もせず、生き延びてきたのだ。ここでも、それなりに家族は落ち着いてきた。とはいっても、畑の周りは森に囲まれていて、山猫や蛇と同居しているようなものだ。何の娯楽とてない、この山奥で私は、思い立った。あるうすら寒い日のことである。
保明に鉄砲を借りた。鳥を撃ってみたくなった。精神的にゆとりが出てきた証拠かも知れない。弟に撃ち方を習った。大きな枯れ木に、たくさんの鳥が止まっている。それに銃を向けた。百羽どころではない数、弟が言った。
「散弾銃やき、あの群れの中のどれかに当たるぞ」
私は銃を放った。「パーン!」
びっくりした鳥たちは、一斉に飛び立った。向こうの空が暗くなるほどだ。しかし、ほんの二、三羽が木の枝にやっと止まって、バタバタして落ちそうにしている。この数羽に当たったらしい。
するとである。一旦飛び立った鳥たちが方向を変えて、あの木へ向かって戻ってくるではないか。そして騒々しく鳴き始めた。その数羽の負傷している鳥たちの周りを、ぐるぐると何度も回って騒いでいる。遠くまで飛び立っていた鳥も、一羽も残らず戻ってきている。しかし十分もすると、鳥たちはその数羽を残して、諦めて去って行った。私は鳥を食べるために撃ったのではなかった。ただ遊んだのだ。
しばらくすると、残された鳥たちは、みな木から落ちて消えた……私はあれ以来、鉄砲に触れもしなくなった。
再 婚
こうしたなかでも、私は今までにない、ささやかな平和を感じていたある日のこと、パトロンがやって来た。彼は定期的にやって来ては、何か必要な品はないかとか、特別困ったことはないかと、気遣う。この日の彼は、改まった様子で話があると言い、テーブルの席に着いた。
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