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第46回県連故郷巡り=悠久と躍動の北西パラナ=(7)=豪快な戦後移民の劇的人生

ラプラタ河をさかのぼると、パラグアイ川、パラナ川に分かれる。パラナ川上流にはイグアスの滝、さらにその上にグアイーラやセッチ・ケーダスがあった(By Kmusser, via Wikimedia Commons)

ラプラタ河をさかのぼると、パラグアイ川、パラナ川に分かれる。パラナ川上流にはイグアスの滝、さらにその上にグアイーラやセッチ・ケーダスがあった(By Kmusser, via Wikimedia Commons)

 豪快な戦後移民、田口功さんの奥さんはイタリア系ブラジル人医師だった。多くを語らないが、田口さんがスーパー経営などの幾つかの事業で成功していたこともあり、治安問題に頭を悩ませていた。強盗がサンパウロ市南部の自宅を襲ったのを機に、彼女との安穏な余生を暮らすために10年前にカラガタツーバの海岸沿いに家を買ってサンパウロ市から移っていた。
 「妻は日本文化や日本食が大好きだった。医師を定年したら、半年日本、半年ブラジルという生活を夢見て、日本に家まで買った。翌年4月には二人で客船に乗ってイタリアまで行き、彼女の親が生まれた町を訪ねようと船の予約までしていた」。定年後の生活を楽しむために万全の体制を整え、2年前の9月9日、妻は定年退職の日を迎えた。
 「午後5時に仕事を終え、夜8時に自宅で突然倒れた。脳溢血だった。カラガタツーバ市は彼女の死を悼んで3日間の服喪宣言をしてくれた。でもそれから寂しくってね。子供はサンパウロと北米だし…。治安の問題があるからもう大きな町には住みたくないな」という。まるで物語の様な劇的な人生――。故郷巡りで出会う参加者には、驚くべき逸話も持つ人が本当に多い。

マテ・ラランジャ社が建設した映画館を修復した劇場。ガイドから説明を聞く一行

マテ・ラランジャ社が建設した映画館を修復した劇場。ガイドから説明を聞く一行

 一行は10月1日午前、ウマラマから西に115キロのグアイーラ市に向かった。パラナ川にかかる南米最長3800メートルの橋を渡った先は南大河州、そのすぐ南はパラグアイとの国境。いわば最果ての町だ。
 最初に一行が訪ねた「セッチ・ケーダス博物館」は、元々はマテ・ラランジェイラス会社(ML社)の支店事務所。116年ほど前に建てられたしっかりした建物だ。戦後に始まったウマラマと違い、ここには少なくとも一世紀以上の歴史がある。
 『60年史』(40頁)によれば、博物学者の橋本梧郎さん(1913―2008年、静岡県)の全面的な協力をえて、1961年7月に松山慎次郎が建設した。橋本さんは1954年にマテ・ラランジャ社が経営する農業試験場長に招へいされ、博物館が創立されると館長になった。コレクション「動植物20万5千余、考古学的な出土品(土器など)6千余」などを展示した。個人経営だったが、1971年に州政府の公共施設になったとある。
 その他、農務省グアイーラ気象観測主任、1964年にはパラナ州農務局狩猟監督官に任命されるなど、1977年にパラナ州ローランジャ市に「パラナ開拓農業博物館」が作られる時に、館長として呼ばれた。それまでグアイーラで活躍した。
 市制開始こそ1951年と戦後だが、聞けば、なんと1520年代にはスペイン人探検家がこの地域に足を踏み入れ、イエズス会士が入って教化活動を始めたところまで歴史をさかのぼれる。パラナ州屈指の古い歴史を持つ町だ。(つづく、深沢正雪記者)