しかし不思議である。笠戸丸移民で、大量の被害者を出し、その人々から恨まれていた水野龍に、一方で、帰伯費用を送り、住む家まで心配する友人たちが居た。何故だろうか?
この点、筆者は長く不可解なままであった。
2013年、水野の息子の龍三郎さんが、クリチーバに健在であることを知った。一度会いたいと思った。疑問を解く手がかりが見つかるかもしれない。
天然記念物的な一族
2014年7月、筆者は龍三郎さんをクリチーバの自宅に訪問した。
この時は、予め慎重を期した。筆者は『百年の水流』で、水野龍の笠戸丸移民に関する仕事ぶりを、きびしく批判した。
門前払いを食わされるかもしれない。そこで、さる人に根回しして貰ってから出かけた。
龍三郎さんは機嫌よく応対してくれた。83歳になるということであった。傍に30代と思われる女性が居た。幼女も居て4歳だという。
(孫とひ孫だろう)と思ったが、なんと、龍三郎さんの嫁さんと実の娘だという。唖然とした。
その幼女は79歳の時につくった計算になる。
筆者は、龍三郎さんの顔を改めて見直した。父親の龍と同じことをしているわけだ。顔もソックリだった。
最初の、この印象が強烈だったため、話はそのことに逸れてしまった。
龍三郎さんは、69歳で日本へ出稼ぎに行った。
老人向きの仕事を回してくれる処があった。
その折、やはり出稼ぎ中だった今の嫁さんと一緒になった。彼女は20代だった。
二人の間には3人の子供がいるという。これだけでも感嘆したが、話している内、龍三郎さんは、実は子供は8人居ることを白状した。
4人の女性と協力して生産したそうで、もはや、評すべき言葉を思いつかなかった。
最初の子は龍三郎さんが18歳の時、さる女性とつくった。結婚はしなかった。その後、別の女性と結婚して3人、現在の嫁さんと再婚して3人、もう一人の女性と一人‥‥。
筆者が、「まさか、9人目ができるのではないでしょうね?」と訊ねると、ニコニコしている。ヘンに思って嫁さんを見ると「危ない、危ない」と言って、クスクス笑った。
これでニコニコの意味が判った。
この種の人間は、普通、他人からは「精力的で灰汁の強い男」と想像される。が、龍三郎さんは逆である。ごく普通の、淡白な感じのお爺さんであった。感じが、映画俳優の笠智衆に、少し似ていた。
生活ぶりは、ごく庶民的であった。
龍三郎さんの長男は、65歳だという。前記の4歳の幼女は、その妹である。61歳違いの兄と妹──というのは、世界中探しても、珍しいのではないか。
龍三郎さんには、近くヤシャゴができるという。孫の孫である。水野龍の人並み外れた精気は、子々孫々に継承されているのだ。
筆者は、仕事柄、半世紀以上、多種多様なファミリアを見続けてきたが、これほど愉快で、天然記念物的な一族は、ほかに心当たりはない。
なお、2016年7月、念のため、電話を入れ、9人目ができたかどうか訊くと、「(つくろうと思えば)できますが、もう85歳だから、つくらない方が良いでしょう」と、明るく笑っていた。
「是非つくって下さい。皆、喜ぶでしょう」と勧めておいたが、ともあれ、以上の様なことを、何でもアケスケに話す龍三郎さんには、愛嬌の様なモノすら感じられた。水野龍もこうだった‥‥のではないかと、気がついた。
こういう人柄は人に好かれる。だから友人が居り、帰伯費用や住む家の心配までしたのだろう。
龍三郎さんによると、龍は、住宅用の資金を渡されようとした時、「家は要らない。移民の中には未だ困っている人が居るだろう。お金は、そういう人に‥‥」と断ったという。
翌年、91歳で没。笠戸丸移民のことは、死ぬまで、気にしていたそうである。(第二部、終了)
《参考・引用資料》
○クラウジオ・セト、マリア・H・ウエダ共著
『AYUMI』。
○サンパウロ州新報刊『在伯日本移植民二十五周年記念鑑』、
○香山六郎著『移民四十年史』、
○鈴木貞次郎著『埋もれ行く拓人の足跡』、
○牛窪襄著『パラナ日系60年史』、『祖人水野龍』