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「今もどこか半外人の扱い」=日本移民法令関連集の発刊式で=人種差別の歴史振りかえる

差別を受けた日系移民に関して、意見を交わす関係者ら

差別を受けた日系移民に関して、意見を交わす関係者ら

 奴隷制廃止とともに進められた移民政策のなかで、差別的待遇を受けてきた日本移民に関する16法令を、2世紀に及ぶ大量の法律から10年がかりで集めたポ語著書『Codigo Amarelo(日本人移民関連法令集)』(EDUFMA刊、白石ジョアキン・ネット、白石チエコ・ミルテス共編)。その刊行発表会が10日夜、文協内移民史料館で行われた。今後の移民史の研究の発展に一石を投じた労作に感銘を受けた研究者や一般人ら50人近くが参集し、称賛の声が相次いだ。

 著者でマラニョン連邦大学の白石ジョアキン・ネット教授は挨拶の中で、「子供心に日系人として偏見を感じながら育ってきた」と執筆のきっかけを振り返った。
 法学部で少数民族研究に勤しむ一方、同州で子育てを通して追体験し、「多様な人種を抱えるブラジルにおいて、未だ特定人種に対する偏見が残存する。日系移民に対する差別的法律が、今なお影を残している」と強調する。
 また「日系人は社会階級において経済的に成功しているが、それが隠れ蓑となって、少数民族として認識されづらい存在」といい、「移民史の原点に立ち返り、研究がさらに発展すれば」と刊行後の関連研究の進展に期待を述べた。
 発表会には、本書の序文を執筆したサンパウロ大学法学部のアントニオ・ホドリゲス・デ・フレイタス教授、国外就労情報援護センター(CIATE)の二宮正人理事長、エスタード・デ・サンパウロ紙論説委員の保久原(オクバロ)ジョルジ氏らが招かれ、公開討論会が行われた。
 通商航海条約締結から、日本移民導入・人種差別に基づく制限、戦時下での弾圧に至るまで歴史談義が行われ、活発な質疑応答が交わされた。
 なかでも、サンパウロ市議選に出馬したナオミ・グレイセ・ヤマグチさんからは、「ブラジルは日系移民を温かく受け入れてくれたと言われるが、どこか『半外人』として見られていると感じる節もある」と語り、差別的法律が存在しない時代となっても、偏見が残存していることを示唆した。
 ハイチやシリアからの難民をブラジルが迎え、米国では人種差別的な政策を訴えるトランプ氏が勝利するなかにあって、共著者の白石チエコ・ミルテスさんは「二度と同じ歴史を繰り返さないように、差別された日系移民の歴史を振り返ることは、今日的意義がある。移民問題を考える第一歩になれば」との想いを語った。

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 須賀靖一さんが言う通り、戦前戦中に独裁者だったヴァルガス大統領だが、1951年1月からは選挙で選ばれて再就任した。この時に、企業の育成を目指して社会経済開発銀行(BNDES)を52年、最初の石油公社ペトロブラスを53年、伯米軍事協定を52年に結ぶなど、現在の産業発展の骨格をつくる政策を実行した。しかし反対派暗殺未遂事件が発覚し、厳しい追及を受ける中、1954年8月にピストル自殺を図った。それが一アマゾン移民にも影響を与えたわけだ。